生命を識る天ぷら

食べ歩き ,

「みかわ」の天ぷらに目を開くのは、そこに生命を見るからに他ならない。
海老は海老であり、穴子は穴子であり、メゴチはメゴチが持ちえる、真性の深みが舌に広がり、鼻に抜け、圧倒する。
極限まで高められた滋味が、客の前に置かれる。
そこに穏やかさはない。
したたかさやしぶとさをあわせ持った魚の息吹が、口の中で巻き上がる。
その強靭さが、胡麻油の香ばしさと拮抗し、唯一無二の高みが生まれる。
こうして他の調理法では生まれない、天ぷらという料理の凄みに陶然となるのである。
海老は中心の一点がレアなのに、熱々で、甘く、濃い。
これでもかという甘みが噛むごとに湧き出てくる。
海老頭は、最大限に引き出された殻の香りが、たっぷりとまとったごま油の香りと出会い、膨らんでいく。
淡白なキスは、繊細さに中にたくましさがあって、噛みしめた瞬間にグッと喉がなるような濃密がこぼれ落ちる。
中心がレアなのに、噛むと熱々のエキスが流れ出るスミイカは、清楚ながら、塩をつけると、内に秘めた凛々しさが顔を出す。
ウニは揚げられて、バチコに似た旨味をにじませ、酒を恋しくさせる。
タラの芽は、瞬間に熱い香りが弾けて、苦味の中に隠れていた甘みが追いかける。
そしてこの時期の名物、白魚である。
サクッと軽快な衣を噛めば、白魚のしなやかな肢体に歯が入る。
つたない甘みを宿し、そこへ微かな苦味の光がさす。
衣との食感の対比が、余計に幼い白魚の尊さを伝え、涙が出そうになる。
さらには、ごま油の香りがより強く感じるメゴチのしたたかさに唸り、穴子というクライマックスを迎える。
褐変した香りの凝縮が、鼻腔をひっぱたき、極限の甘みが舌をうねらせる。
どの天ぷらも、わずかなわずかな一点の頂上を目指し、極められている。
その一点の先は、奈落の底である。
料理として成り立たない、奈落の底である。
恐れを知りながら動じることなく、繊細に大胆に、一点まで揚げ切る。
そうしてこそ魚は、命の輝きを取り戻す。