いつから日本料理は「見てくれ」を優先することが、多くなったのだろう。
「ほどほど」という美しさを、忘れたのだろう。
「盛りつけと飾りつけは、違います」。
今年80歳になられるという「辻留」の料理長石井さんは、そう言われて、にこやかな目つきを、引き締められた。
「アズキハタのお造り 山葵、加茂川のり、菊」、「甘鯛の椀物 椎茸、つる菜、焼麩、青柚子」、「ニシンと茄子の炊き合わせ 生姜」「かますの焼き物」「うなぎ蓮根蒸し」「菊菜とホッキ貝の胡麻和え」「鱧皮ご飯」。
魯山人の器に鎮座した料理は、どれもてらいがなく、凛と佇んでいる。
今の人たちなら「コスパが悪い」などと書かれてしまうかもしれない。
しかしここには、自然と共生した日本人が尊重してきた美しさがある。
自然界に敬意をはらって、人間界のやり過ぎを戒めた学びがある。
こうした料理が、どこでも食べることのできないなら、日本人として、こんな悲しいことはないと思うのだ。