博多では、様々な店に行ったが、もうここしか行かんように、なってしもた。
「マッキーさん、野菜好きやから」と、前菜は、名残の山菜などの料理だった。
酸味と甘味がピタリと決まった、こごみの酢味噌。
つまみとして食べられるようにと、味を仕立て直した梅干し。
鰹ぶしを混ぜて食べれば、素朴なわらびの味が酒よぶ味として蘇る、わらびの昆布締め。
磨き抜かれた事がそれぞれの食材を生かした、鮑、里芋、茄子、海老、穴子の炊き合わせ。
そしてシワが微塵もよることなく、どの豆も同じ柔らかに炊かれた、うすい豆のひたし。
続いての岩がきは、澄んだ味わいで、玉ねぎおろしのソースが牡蠣のミネラルを生かす。
そして、みそが出過ぎず、魚と味噌が丸い地平線を作って、惚れ惚れとする甘鯛の味噌漬け。
最後は、長時間かけて撮った贅沢な鶏スープに、鳥つくねと山芋団子と三つ葉の鍋だった。
鳥の滋養が満ちた鍋に、山芋の優しい強壮が満ちて、体を芯から温め、満ち足りた気分を運んでくる。
最後の雑炊の卵の閉じ方、高菜の油炒めの油の量、胡瓜の糠漬けの発酵具合など、穏やかさがありながら、一ミリの妥協なき仕事のすごさが輝いている。
派手な食材や料理もいい。
だが消えつつあるこう言う料理にこそ、先人の智恵が生きた料理にこそ、贅沢がある。
それは15から料理修行に入り、現在79歳になられたご主人にしか生み出せない、人間の味である。