博多に来たら、ここしかいかん。
随分前から、そう決めてしまった。
たくさん美味しい店がある。星つきの店もある。
そんな有名店には数多く行った。
だが博多の夜には、もうこの店しかいかん。
ちりめんじゃことピーマンの和物。
地元の大きなじゅんさい。
鯛の皮と胡瓜と新生姜の土佐酢和え。
ヤリイカのゲソ酢味噌 新生姜。
たたき梅とわさび。
炊き合わせ。
なんちゃあない料理である。
だがそのなんちゃあないが、僕の心を打つ。
そのなんちゃあないに込められた凄みが、目覚めを生む。
ちりめんじゃことピーマンは、塩味だけでまとめられているが、なぜか甘みがあって、うまいなあと呟かせる。
カボチャ、おくら、ゴボウ、エビ、合鴨、アスパラ、那須の炊き合わせは、それぞれに意味があって、持てる力をそっと舌に乗せてくる、
野菜はすべて、唐津まで行って、農家の即売所で買ってきたもだという。
その後出された、鯛のお造り、蒸し鮑の刺身、うなぎの白焼き、甘鯛の味噌焼き、玉子焼き、甘鯛の潮汁も、しみじみがしみじみを連れて、幸せを膨らます。
「今イワシが炊き上がったけん、食べると?」と、親父さんが聞いてきたので、即答した。
「本当は、一晩おいた方が味染みてうまいんだけどね」と言いながら
「マッキーさんこれ見て」と、炊き上がった鍋を見せてくれた。
「イワシはチマチマ炊いたら旨くない。今日は10キロ炊いた」と、嬉しそうにな笑顔を浮かべられた。
すべての料理が、時間がたくさんあった古き良き時代の、真っ当な日本料理である。
派手さも気取りもないが、なにがう真にうまいのかというのを知り尽くした料理であり、それは親父さんの人生そのものの味なのである。
帰り際に言われた。
「マッキーさん来たら、おいしいもんを工夫して出そうと思うけん、元気になる」。
体を壊され、以前よりしんどそうだが、そう言った親父さんの眼には、反骨の灯が輝いていた。
感謝しかない。
博多「畑瀬」にて