京都「なかひがし」

精神の継承。

食べ歩き ,

今夜、72歳となられる料理人は、28年間の居場所であった厨房を離れて、奥様とともに客席のカウンターに座られた。
彼が独立して店を構えたのは、45歳の時だった。
今夜厨房内に立つのは、45歳の息子である。
料理人を目指したきっかけを話された。
「料理屋のせがれとして生まれ、小さい頃から手伝わされ、こんなしんどい仕事は絶対にしないと思っていました。決心したのは、立原正秋さんが来られた時です。ある日
「今日行きたいんだけどいいか」と、連絡が来ました。
私が18歳の時の6月です。
「今日は料理長の兄がいなくて、弟しかいないんですけど」と、伝えると、
「かまへん」と言って、おいでくださいました。
料理が終わって、お座敷に挨拶に行くと、
「今日の料理は君が作ったのかね」。
「はい私が作らせてもらいました」。
「おいしかったよ」。
そう言われて、金一封をいただきました。
その時の嬉しさと怖さは、忘れようがありません。
その後兄が亡くなって4年後、このままこの店に骨を埋めるのかなと考えていた時に、姉から「きいちゃん独立したら」と、言われ、今に至ります。
その時お世話になった方からつけられたんが「草喰」です。
息子も語る。
「小さい頃から料理が好きで、アニメ見るより料理番組を見ていました。兄弟3人で、お前のオムレツがうまい。お前の卵かけご飯がうまい。と言いながら育ってきたので、今ここに立っているのは、なんの不思議もありません」。
今夜の料理は、すべて肉を使った料理だという。
誰もがやっていない料理であり、父親の料理とはまったく違い、息子さんが独自で考えられた料理である。
食べて思う。
そこには誠実があった。
父親を超えようとか、自分を表現しようとかいう欲や意識はまったく見えずに、肉の持ち味だけを考え、素直にそれに沿った誠実な料理だった。
食べながら、初めてこの店を訪れた25年前のことが蘇る。
それは最後に出された大根と大根葉の炊いた料理だった。
出汁も酒も塩も、一切の調味料を使わず、水だけで大根を炊いた料理だったが、そこには体に染み渡っていく、真実の甘みがあって、心が震えた。
感動を伝えると、ご主人は言われた。
「これは聖護院大根を長らく作っているご老人夫婦が、出荷用ではなく、孫に食べさせるものを分けてもらったんです」。
今夜の料理は父親の草に対して、肉中心と、料理は異なる。
だが、生きとし生けるものに対する敬意と畏怖が、すべての料理にあって、敬虔な気持ちが降りてくる。
その精神は、寸分も違わない。
「草喰なかひがし」の特別会、すべての料理は