その小さな店は、街道沿いにポツネンと佇んでいた。
木造民家を改築したらしい二階屋で、一階がカウンターと厨房、二階が個室となっている。
「いらっしゃいませ」。
年の頃は30代後半だろうか。律儀そうなご主人と奥さんが出迎えてくれる。
「ご無沙汰しております」。
続いてご主人に声をかけられた。
彼とは今まで話をしたことはない。
目線を合わせたこともなかったかもしれない。
しかし、毎月のように通っていた祇園の名店で、時折奥の厨房から出て来たときにお顔を拝見していた
それだけで覚えてくれていたのが、嬉しい。
先付けは、「うなぎとさつまいも、菊菜の白和」だった。
主役である菊菜を豆腐の甘みが支え、うなぎと芋がほんのりと華を添える。
その調和がなんともすっきりとして美しく、二日酔いだというのに楽しくなって、燗酒をお願いした。
続いて、「いちじく胡麻和え」が出される。
胡麻の香りが高い。その香りの中で、いちじくが楚々と甘みを膨らます。
ご主人が、お造りを引いている。
「ヒラメの昆布締めです」。
外から差し込む陽光を浴びて、ヒラメが輝く。
昆布締めの塩梅が、なんともほどよく、こりゃあもう一本だなと頼む。
椀ものは、「海老と銀杏、キクラゲのしんじょ椀」であった。
修行先には敵わないものの、滋味が深い出汁に目が細くなる。
やはり、至高を知ったものは強い。
至高と同じ材料は使えないものの、本筋を心得ているので、味わいに芯がある。
焚き合わせは、「近江鴨、かぶら、赤蒟蒻、南瓜」であった。
近所の農家から買いましたという滋養に満ちたかぶらが、舌の上でふんわりとくずれていく。
鴨が鉄分をにじませながら、歯に食い込む。
少し高揚して来たところで焼きものが運ばれた。「鰆の西京焼きと焼きなす」である。
サワラも素晴らしかったが、添えた焼きナスがとろんと甘く、溶けるように崩れて、なんともうまい。
締めはステーキご飯、そして修行先でも彼が作っていた、「だし巻き卵」である。
出汁をとっぷりと抱き込んだ玉子は、噛むまでもなく、幸せを口の中に広げていく。
心が整った。
大津まで通う店ができた。
至極まっとうな3500円の昼コース。