神楽坂「三菊」

白菜の声を聞く。

食べ歩き ,

「昔は、白菜を自分の技術でもっと美味しくしてやろうと思って料理していましたが、今やめました」。
そうご主人は静かな口調で言われた。
「この料理法は、どうやって考えられたのですか?」という質問への答えは続く。
「心を平静にして、白菜の声を聞いてあげるのです。すると今ですと白菜が答えます」。
水炊きの店である。
鶏の水炊きだが、出会ったことない水炊きを出す。
まず鶏もも肉と鳥スープを炊き、途中から弱火にして30分も経った頃だろうか、鍋蓋に手を置き、5分以上そのままにしているのである。
蓋は開けない。
目を閉じて集中しているので、声もかけられない。
鶏を食べた後は白菜である。
鍋に山盛りの白菜を入れてしばらく炊き、火を調整しながら、何回か箸で下から持ち上げるようにして極々ゆっくりと混ぜる。
しかるのち、鍋ぶたをして手を置く。
ここで白菜と会話をしているのだろう。
くったりとなった白菜の甘みは、鶏のスープと一体化しながら舌にしなだれる。
「水道水と専売公社の塩です」という、スープの塩分は極めて淡く、鶏が入っていないのに、しだいに滋味が増していく。
白菜を食べた後は、ネギ、えのきを食べ、最後に豆腐を入れて炊く。
どんな鍋でも豆腐は豆腐、スープはスープなのだが、これまた豆腐とスープが完全に同体の味わいとなって、口に滑り込む。
陶然となる味である。
最後は雑炊だが生米を入れる。
蓋をずらしながら炊いていく。蓋を開けて、おたまを優しく動かしながら混ぜていき、玉子を落とす。
溶き卵ではなく全卵そのままである。
卵を入れたらすぐ蓋をして、蓋に手を置き瞑想する。
開けてご飯をよそい、黄身を落とす。
これまた完全にスープと一体化した雑炊は、心を溶かす。
「ありがとう」。
ご主人は料理中、何度もこの言葉を発する。
おそらく100回は言っているのではないか。
言葉の先はお客さんだが、鶏や白菜、米に語りかけているのだろう。
だからこそ口調は、地平線の彼方まで慈愛に満ちて、優しい。