白海老、鳥貝、ホタルイカ。白魚、そら豆、蕗の薹。ヤリイカ、蛤、黄ニラに鰆。
4月のレストランは、春が咲き誇っている。
中でもホタルイカ、ヤリイカ、蕗の薹は、数店舗にて違う料理でいただいた。これこそが、食べ歩きの醍醐味である。
富山「ふじ居」では、まだ生きているホタルイカを、さっと茹で、同じく富山「Levo」では、足は揚げて、胴体は野菜のブイヨンで加熱し、黄蕪ソースと合わせた皿。「インド富士子」では、新玉ねぎと合わせたアチャールである。
蕗の薹は、「ふじ居」がお椀、「レフェルベソンス」が、アイスクリームときた。
いずれも食材に敬意を払い、かつ新たな魅力を発見させてくれる料理である。
そしてホタルイカと蕗の薹は、「臥龍居」でも、魅力的に変化して現れた。今回の宴席は、特別にお願いした上海料理である。
前菜の小盆8皿を入れて、全18皿。
素朴な味付けの中に、奥行きがあり、噛みしめるごとに、しみじみとした美味しさが広がる上海料理を堪能した。中でも特に印象的だった皿を紹介したい。
前菜の、鶏スープで空豆を茹で、潰して、鳥のゼラチン質と豆の力だけで固めた「空豆と雪菜の煮こごり」は、食べた瞬間に、空豆の優しく甘い香りが口いっぱいに広がり、思わず顔が崩れる。
あるいは、アブラボウズの細切りともやし、黄ニラを炒めた皿は、ホタルイカの目をとってピュレにし、塩、山椒、にんにくを混ぜて一週間寝かしたものを調味料として使っている。
その熟れたうま味と塩気が野菜や魚を穏やかに持ち上げるのだが、塩梅が、なんとも心憎い。
また百頁料理は、干し豆腐と古漬け高菜を白湯で煮込んだ料理である。
食べれば、白湯のうま味と高菜の酸味に包まれて、百頁の静かな甘みが、じっとりと舌に広がっていく。
決して派手ではないが、食べ進むごとに干豆腐への感謝がせり上がり、充足のため息をつかせる。
互いの味がでしゃばることなく、丸く共鳴しあいながら、ゆっくりと心を掴んでいく。
そんな実直さこそが上海料理の品格であり、脇屋さんの目指すところなのだろう。
その品格は、蕗の薹を使った小龍包の香りにも、塩漬け鱧と豚肉、豚直腸が織りなす複雑なコクにも、真ハタの繊細な味を生かしながら、黒く糖色に輝かせた紅焼料理にも貫かれている。
脇屋さんの料理には、いつも食材の香りを生かす魔力に驚かされてきたが、今夜は、その源の淵を覗いた夜であった。