「お店の若い子達に、命を大切にせえよ。食材の無駄をなくせよと、いつも口を酸っぱく言っていましたけど、本当は自分も何もわかっていなかった。ここにきて暮らし、料理を作り続け、最近恥ずかしながら、ようやくその意味がわかってきました」。
渡辺幸樹シェフは、鶏をシメながらそう言われた。
鶏を飼い、豚を飼い、畑を耕し、種を蒔き、育てて収穫する。
週に三日だけ店を開き、料理をする。
「大鵬」本店で出た生ゴミは運んできて腐葉土や枯れ草などと混ぜ、活用する。
自然発酵した餌を食べている豚の腸内環境もよく、健やかなのだろう。
ひと組のお客さんのために鶏をシメ、野菜を収穫し、保存しておいた塩豚を切り出す。
青空の下で鍋を振り、包丁で切る。
もうそれだけで、料理が手足を伸ばし、くつろいでいる気がした。
そして食べれば、こちらの体も温まり、弛緩していく。
噛めば噛むほど、いただいた命の滋養によって、力がみなぎっていく。
「葉っぱ一枚でも、我々は他の命を奪って、育まれているのです」。
有名な料理人の言葉だが、その真意を、これだけ痛切に感じたことはない。
「ヤーコンのシャキシャキ炒め」で心を弾ませ、「掘り立て蒸し人参 醤油かけ」の優しい甘さに惚れ、辛子菜漬物と辛子菜オイルをかけた「蕪のスープ」で充足のため息をつく。
「ほうれん草と人参葉の玉子炒め」に心和らぎ、梅菜と蒸した塩漬け豚バラ肉の「梅菜扣肉」のしまった脂のよどみがない綺麗な味わいに、目を丸くする。
とれたてターツァイの腐乳炒めを食べながら、新鮮な野菜しか持っていないたくましさがあってこそ腐乳が生きるのだと知る。
「ニラ玉」は、とれたて卵の白身の盛り上がりが凛々しく、我々がきてからシメ、自生している金針菜とじっくり煮込んだ鶏の煮込みは、噛む喜びを与えてくれる鶏と煮汁の深い滋味に、打ちのめされる。
そしてご飯は、「豚バラ肉ご飯」、豚バラ肉の塊と一緒に炊き上げたご飯である。
塊肉は食べやすく切り、醤油味ベースのつけだれを添える。
まずラードが染みた、甘い香りのするご飯に酔い。
そこに塩漬けした卵管を乗せTKG風で掻きこむ。
さらにはターツァイの腐乳炒めの炒め汁、鶏煮込みの汁などを次々とかけながら、おかわりを繰り返す。
そのお名前の通り渡辺さんは、京都市から遠く離れた、コンビニもない田舎に幸せの樹を植え、それは次第に大きくなっていくのだった。