「この間ね、もう歳だし、やめようかなあって、90歳のホルトさんに言ったら、『辞めて何かすることある?』て、聞くんだ」。
「80過ぎて、新しく始めることなんかねえやって言ったら、ホルトさんに言われちまった」。
「そうでしょ。あんた料理が好きなんだから、ずっとやってなさいってね]。
82歳なられる御子柴さんは.そう言われた。
「あんこうの時期に、今年は穴子ができるかなあと思っていたら、いつのまにか穴子になっているんだよね」と、笑う。
短気で頑固だけど、真面目で根強い。
80すぎて、自分で自分のことを茶化すほど、楽しく生きている。
シャイだけど、実はおしゃべりで、啖呵を切るが、筋を通す正しさを守り抜いている。
料理という仕事が好きで、土日の休みも、朝から夕方まで調理場で仕事をしている。
「ほかに行くとこねえもんだから、つい店に来ちゃうんだよね」と、楽しそうな顔で嘘ぶく。
「この間もね、休みの日に小豆を朝から炊いていてね。昼過ぎの出来上がりに合わせて餅を炭火で焼いて、汁粉にして食べたんだけど、ありゃうまいねえ。でもね、そやって仕事してると、もっとこうやったらうまく出来るんじゃないかって考えが浮かんできてね。試すだろ。だから楽しくってしかたねえんだよね」と、子供がイタズラを思いついた時のような、他意のない笑顔を浮かべられた。
「休みの日に店行って、なかなか帰ってこないから、板場で倒れてるんじゃないかって覗きに行ったら、この人、ずっと料理しているんですよ」と、おかみさんは苦笑いされた。
これだけ美食がはびこっていても、ほかには存在せず、誰も真似もできない江戸料理の美学が、すべての料理に息づいている。
この人の料理本を出したい。だが
「料理を教えろっていう人もいるけど教えられないね。なぜならそん時そん時で、そん時そん時のもので、味付けも切り方も、料理のタイミングも違うんだから、教えようもない。この間もどこそこの割烹の、年配の料理人に筍を出したら、これはタレで照りをつけてんですかって聞くんだ。タレなんか作ってないけど、面倒だから「はい」って答えてやった」。
痛快である。
写真は、昆布も使わず、穴子の骨だけで長時間作った出汁に味噌を溶き、炭火に突っ込んで焼いたナスを入れ、飛騨の赤粒山椒をアクセントに加えた味噌汁である。
上品な滋味が味噌と馴染み、そこへナスの甘みが出会っていく。
一口飲んで、二口飲んで、最後の一滴まで飲んで、とこしえの安寧が訪れる。
美味しいを超えた幸せがあることを、教えてくれる味噌汁である。
写真手前のきゅうりの漬物は、わさびの醤油漬けの醤油に一年間つけたものである。
醤油とわさび、きゅうりの境目はなく、完全に丸くなった輝きが、舌を包む。
写真は、春の中頃から晩秋までやられる看板料理の穴子料理の一つ、「穴ざく」である。
メソっことタネを抜いたきゅうりを合わせ、調味して、紫蘇とゴマを合わせただけの料理だが、目まいがするほどの均整美で貫かれている。
知り合いの料理人は、再現したくて100回ほど作ったが、未だに到達できないと言っていた。
御子柴さんのことだから、しばらく仕事はやられるだろう。
御子柴さんのことだから、お元気でも突然やめられる日が来るかもしれない。
だが、誰もこの料理を受け継ぐ人はいない。
だからこそエラソーにいえば、すべての料理人に食べにきてもらい、舌と脳に刻み込んで欲しいと思う。
これこそ、かけがえのない、日本の財産なのだから。