彩雲瑞

食べ歩き , 寄稿記事 ,

街の小さな中国料理店である。

厨房はご主人一人。清潔感漂う店内を切り盛るのは、奥さん一人。

ふらりと入ってきた一人の若い男性が、坦々麺をうまそうにすすっている。常連らしき老夫婦は、紹興酒を傾けながら、コースの料理をゆっくりと楽しんでいる。

店は、幸せな日常に満ちていた。そんな空気に準じて、常備菜と書かれた数品より「青椒肉絲」を選んだ。

やがて運ばれてきた皿を前にして、目を丸くした。素材が一体となってかもし出す香りのなんともかぐわしいこと。食べれば、正確に同寸に切られた肉、ピーマン、筍が舌に馴染み、豚肉とピーマンの香りが生き生きと弾ける。

味付けも柔らかく、しみじみとしたおいしさの余韻だけを残しつつ、口の中を風のように消えていく。

初めて「青椒肉絲」という料理の意味を、教えられたような気がした。

続いて頼んだ常備菜「麻婆豆腐」は、口中で火花散る麻辣と、渾然となった味わいの中より、手切りされた豚挽肉のうまみ、豆腐の甘み、香ばしい辣油や葉にんにくの香りが、明確に伝わってくる。

本来の筋を通して、丁寧な仕事を施した常備菜には、品格があることを知った。

こりゃあ大変である。他の料理も食べなくてはと、すぐさま裏を返し、メニューを開くと、次々に頼んだ。

前菜からスープ、肉料理、魚料理、揚げ物、煮もの、麺料理、デザート。

繰り出される皿に、打線の切れ目がない。火の通しが適妙で、舌触りにいやみがない。素材の香りが際立ち、塩が舌に当たらず、油が舌に残らない。

メリハリに富む料理は、甜、鹹、酸、苦、麻、辣、うまみの組み合わせによって構成されるが、いずれかがとがることなく、丸く調和している。

まずは安価で揃えられた、大いに悩む前菜から攻め込まれる。

鹹水の複雑な香りをまとったハチノスの食感、練り肉のうまみ、黄味の甘み、鹹蛋の塩気、カシューナッツの油脂分がぴたりとまとめられた、「ハチノスの詰め物」。

唐辛子油と大根の異なる辛味同士が、痛快に呼応しあい、そこを香菜の香りがアクセントする、「紅芯大根と香菜の唐辛子油和え」。

ミルキーな甘みが引き出された牡蠣に、当たりの柔らかい醤油味のソースがかけられた、「牡蠣の湯引き」。

胃袋くすぐる香りが染みた皮に歯を入れれば、豊かな肉汁が溢れて、思わず笑みがこぼれる、「大山地鶏の香味煮」。

水菜と湯葉の対比的な食感に、柚子香がとろりと絡む、「水菜の湯葉巻 柚子ソース」。

バリエーションに富む、色彩の取り合わせ、食材、食感や調味の違い。中国料理前菜ならではの醍醐味がある。

主菜たちも、技術力の高い仕事によって輝く。細く細く、同寸の絲に切られた青硬菜や椎茸、筍、押し豆腐が、塩気と干し海老の香りに包まれ、一体化して舌を過ぎていく、包丁技が光る、「押し豆腐の塩味煮」。

揚げ麺のコクが染み出たスープに浮かぶ、くにゅくにゅとした揚げ麺と、シャキッと弾けるチシャトウの対照的な歯応えが、取り合わせの妙を感じさせる、「揚げ麺とチシャトウのとろみスープ」。

ゆっくりゆっくり炒めることによって抽出した海老の味噌を、玉子に吸わせた、ご飯が進みすぎて実に危険な、「有頭海老の唐辛子炒め」。

美しい立方体に、逃すことなく閉じ込めた脂の豊満な甘みと肉の逞しいうまみを、ソースが優しく持ち上げる、

「東坡肉」。

滋味深い老鶏のスープに、白菜の温かみのある甘みが溶け込んだ、飲むたびに充足のため息が漏れる、「白菜の芯の蒸しスープ」。

蓮の葉、山椒、八角、米、ザラメ、ジャスミン茶で燻製にし、ジューシーに仕上げた、「骨付き鴨もも肉の揚げ物 スモーク風味」。

スープや紹興酒に頼らず、塩と火の力だけで、みずみずしさを瞬時に閉じ込めた、「豆苗の炒め」

あん肝の力強さを発見する、「あん肝の煎り焼き トウチソース掛け」。

そして最後を締める甜品の傑作は、「えんどう豆の羊羹」だ。絶妙な水分量で、羊羹は重ねても、箸で持ち上げても崩れないように固められているが、一端口に入れると、噛まずとも滑らかに崩れて、舌に広がり、豆の香りだけを残して喉元に落ちていく。

これだけとっても、少量のつなぎでいかに固めるように煮詰めていくかの見極め、豆の香りを生かす砂糖の分量など、修練を重ねた目利きと技が、料理に生かされていることを知る。

その他、醤油の角を取る、油に当たると苦くなる塩を和らげる、鶏肉のジューシーさを出す、素材の香りを生かす包丁の入れ方など、ご主人千脇

千脇氏は、長く修行なさった吉祥寺「竹爐山房」の師、名人山本豊氏より徹底的に理論を叩き込まれたという。

実は今回ご紹介した皿は、一部は季節によってメニューに載り、一部は予約でのみお願いできる料理だ。

小さな町の料理店ゆえ、コース料理を取るお客さんは、まだ少ないという。

おそらく彼の引き出しは、まだ半分も開いていない。どしどし出かけ、食いまくろうではないか。

我々の好奇心と食欲で、才を引き出し、新たな高みに登ろうじゃありませんか。