これから料理はどこに向かっていくのだろうか。もう、料理技術も食材のグローバル化も爛熟の域に達している。
しかしその中で未来を予感させる料理に出会うことがあって、しばし熟考させられるのである。
先日、銀座「割烹智映」の北山さん、自由が丘「mondo」の宮木シェフ、銀座「Range」の西岡さんによる、八海山でのコラボディナーにも、一つの答えが見え隠れしていた。
北山さんによる鳥貝のお椀は、昆布だしに鳥貝、独活と天然ワラビ、山菜のはりぎりを合わせてある。飲めば、淡い昆布のうま味の中で鳥貝のじれったいようなうま味がゆっくりと膨らんでいく。
その中を山の精気が吹き抜ける。
そこには、山と海という遠く離れた地で生まれた生命なのに、味を越えて結ばれている感覚があるのである。
海と陸のつながりといえば、今までは海の産物と陸の産物と合わせてうま味を膨らませたり、互いを引き立てるということがあったが、それとは少し違う地球感が厳然と漂っている。
宮木シェフによる、「和牛頬の赤ワイン煮と伝助穴子、フォアグラのカラメリゼ、馬告のアクセント」もまたそんな気配があった。
和牛と穴子、フォアグラという、豊なうま味を持つ食材を組み合わせて、味の高みに持っていこうとするのではない意図を感じたのである。
明らかにその三者は、的確な調理によっておいしく仕上がっている。しかし、三者を共に合わせて食べればどうだろう。
穴子を単体で食べた時とは違う、穴子の凛々しさと色気が際立つのである。
牛頬やフォアグラという陸の命が、「僕らと一緒になって、君を輝かせたいんだ」と、穴子を優しく見守り、理解し、抱きすくめている。
そこにあるのは共生の意識である。
共生の優しさであり、地球への感謝と未来を見つめる、思いやりに満ちた汚れなき視線である。
西岡さんの手による、塩麹漬けマダカわびの肝ソースをまとった、見事な原木椎茸のステーキにも、その気配が満ちている。
パリの「クラランス」のプレシェフの料理、「星のや東京」の浜田シェフの料理をいただいた時にもそのことを、強く感じた。
まだ僕の頭の中に明瞭な答えがあるわけではないのだが、この先の料理への予感を感じたコーフンは続いている。