口の中で、ゆるゆると、脂の花が開いていく。そこへぬる燗を、そっと流し込む。
ハタハタは微笑んで色香を灯し、のどへと消えていく。
「焼いたら、脂を締めるために一旦冷やします」。
「炙りハタハタの冷製」は、魚を知り尽くした、いや魚を惚れぬいた先にある料理なのだろう。
そしてカツオである。本日一本だけ上がったという。
ああ、地平線の彼方まで滑らかで、柔らかい。
歯を入れると、何も触るものがなく、ムースのごとく消えていく。
いつも知ったる、勇壮なカツオとは違う魅力を振りまいて、僕を陥落させる。
「優美」という言葉は、この刺身のためにある言葉ではないか。
「カレイの肝煮」が運ばれた。もうやめてください。そんなに責めないでください。
食べれば、こいつもゆるりと口の中で本性を見せ始め、次第に甘い香りを立ちのぼらせる。
食べ終えた煮汁にご飯を入れる。やめて。
そして本日のメインイベント。「カレイの一夜干し」が登場した。
「活かした魚と活きた魚は違う。活かした魚では塩が入りすぎてしまうので、活きた魚を、お母ちゃんが干します」。
「今日はどれくらい塩しようかね。どれくらい干したらいいかねと、カレイと相談するんです」と、お母さん。
その身は、空気を含んでいないのに、含んだかのようにふんわりして、活きていた時より甘みを増して、舌に落ちる。
くどさというものが一切なく、清廉な命の甘みだけが流れていく。
もしこの魚を食べて何か言葉を発する人がいようものなら、それは嘘だ。
本当に美味しいものは、言葉が出ない。僕は酒を飲むのももどかしく、ただひたすらに食べ、一番美味しいと言われる唇に接吻した。
さらに、ベストの大きさだという、のどぐろの煮魚、もずく、イガイご飯、椎茸、アワビのソテー、アワビのソテー汁ご飯、そこに卵黄。海の滋養カレーと続く。
おそるべし鳥取、おそるべし夏の「かに吉」。
もとい、「なつ吉」。
おそるべし「なつ吉」。
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