「わたしに惚れてもいいんだよ」。
伊勢海老が囁いた。
目の前でさばかれた伊勢海老の胴体は、湯葉で巻かれて揚げられ、伊勢海老の味噌は、吉野葛でとじられて餡となってかけられる。
熱々を口運ぶ。伊勢海老の身が、音を立てるように勇ましく弾ける。
そしてその勇壮を、味噌の穏やかな色気が包み込む。
命の凛々しさとはかない艶の両方が、心を陥落させる。
「帆立と豆の凍み浸かり」。付き出しは、節分の料理である
帆立の豊かな甘みと豆の朴訥な甘みが野菜が出会い、静かな夜が滑り出す。
ふぐのお造りは、以前いただいた、その日に獲れたフグの薄造りと違い、一晩寝かせたフグは、コクを味わうために厚く切り、噛むことによって、フグの滋味を余すことなく、記憶に刻み込む。
丸吸は、出汁とスッポン出汁のうま味の両者が丸く馴染んで天然の味わいを舌に広げ、充足のため息をつかせる。
ああ、なんと豊かで静寂な時間だろう。
真魚鰹は凛として、ゆるぎなき気品と色気をにじませながら、崩れていく。
ああ、食べるほどに時間が甘く、緩慢になっていく。
「鯛かぶら」は、精妙な炊き具合によって、鯛のうま味が頂点に達し、ふっくらと膨らんだ鯛の身と 愛おしい脆弱さを持つかぶらの甘みが、出会いを喜んでいる。
冬の厳しさを生き抜こうと踏ん張る蕪の慈愛と、勢いを宿した鯛のうま味を味わいながら、目を瞑る。
そしてうずらのたたきが出されると、冬はますます厳しさを増し、夜がじっとりと更けていった。
祇園「浜作」の冬。
浜作