六本木 「ブリアンツァ」

朴訥な語りの中に

食べ歩き ,

朴訥な語りの中に、愛が滲んでいた。
日々の素朴さを積み上げて来た、民族の知恵はたくましい。
イタリア北西部、フランスと面したリグーリアの郷土料理を食べた。
「トルタパスクアリーナ」は、フォッカッチャの本場であるリグーリアの、薄い薄い「フォッカッチャリグレ」を33層重ねて、野菜を詰めたタルトである。
パリンッ。とフォカッチャに歯が入ると、野菜に包まれる。
カルチョッフィ、焦がしたチポロット(小玉葱)、透明になるまで炒めた玉葱、青菜が、一体となって舌に広がっていく。
甘みがある。ほろ苦みがある。土の暖かさがある。
一口食べた途端、母の胸に抱きしめられたような安堵がある。
一口食べて顔を上げると、子供の笑顔した同席者の顔があった。


「ブランデクユン」は、バッから(干し鱈)をジャガイモと練り合わせた料理である。
北海からジブラルタル海峡を通って地中海北岸を南下していく干し鱈は、リグーリアに着く頃はまだ乾燥仕切っていない。
それを利用した料理だという。
10日前から仕込んだという料理は、口の中でしっとりとほどけ、鱈の滋味と芋の甘みが自然に抱き合っている。
住処は違うけど、僕らは数百年前から恋人なのさという仲むつまじさがあって、心がほぐれていく。
そこにはリグーリアで大切なハーブだというマジョラムとバジルが香り、玉ねぎの甘みと林檎酒の甘みが底上げし、ケッパー の酸味がちょいと引き締める。
と書いて見たものの、一つの丸い味である。
球体の美味しさが、体の中をコロコロと落ちていって細胞に染み渡る。


ひよこ豆で作った「ファリナータ」は、リグーリアのキアバリの名物で、「サポリート」といって塩味が濃い。
しかしその塩味を噛み締めていくと、豆の甘みが染み出してくる瞬間がたまらない。
添えた、タジャスカというオリーブを使ったトマトサラダ「クンリュウーン」を食べれば、味が締まって、また一口食べたくなる。


「フォッカッチャ・ディ・レッコ」は、フォッカッチャにストラッキーノを乗せて焼く。
写真の通り、生地の端っこちぎり、余った生地を皿の縁裏に貼り付けてから焼いていく。
ははは。これはいけません、乳の香りにチーズの焦げた香り、小麦の香り。
食欲の根源を鷲掴みする三者の香りが、口をあんぐり開けた瞬間に襲ってくるのである。ははは。


パスタは「ペースト・レジェッロ(ジェノベーゼソースのイタリア名)」。ストラッチ、インゲン、バジル、ジャガイモのパスタである。
ハンカチ状のパスタに、口当たりはあっさりとしていながら食べ進むと潜んだ味の深さに気づく、その味わいの塩梅が、実に精妙なのである。

そのほかシラスの塩気とほろ苦みに卵の優しい甘みとイタパセの爽やかな香りが交差する、シラスのフリッタータ

「ジャンケッティ」。
にんにく、イタパセ、ローズマリー、レモンの皮を炒め焦がしてから焼き、オイル捨ててレモン果汁とバターで仕上げた、レアレアの焼き具合が拙い滋味をいかす、アバッキオ。
ココナッツミルクを使い洋梨のソースをかけたパンナコッタで、 ねっとり口にまとわりつくのがいやらしくて素敵な「クレミーノ」。
どの料理も一皿食べただけでは終わらない・
「もっと食べたいよ、マンマ!」と叫びたくなる料理である。
よし今度は大皿を二人くらいで食べるか。