あるがままに。
魯山人の器で、昼餉をいただいた。
どの料理も、端然と佇んでいる。
人間の煩悩を超えて、器と一体となり、自然の摂理をにじませる。
毅然としているが、ユーモアがある。
揺るぎのない厳然とした美があるが、余白もある。
その余白に、食べる人間の想いが入って、料理と器と馴染んでいく。
自然をお手本にと説いた魯山人の美学が、我々の心を安寧へと導いていく。
凄みや苦心を隠した、なにげないような穏やかな空気が漂って、健やかに料理がいただける。
鯛は涼やかに甘く、小茄子はしっとりとうま味を含み、フッコは勢いのある滋味を巡らせ、田芋は命の片鱗を伝える。
やはりここに来ると、背筋が伸びる。
食べ歩きのメモリを、ゼロに戻せる場所。
元赤坂「辻留」にて。
元赤坂「辻留」にて
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