中野坂上「鮨 与志乃」

食べ歩き ,

中野坂上「鮨 与志乃」にようやく出かけることができた。
「京橋 与志乃」時代には、数回ほど出かけたことがある。
ご主人石塚信一氏は、名高い「与志乃 本店」出身で、「すきやばし次郎」小野二郎氏の兄弟子にあたる職人である。
お酒が好きな方で、お客さんと意気投合すると、店を閉めてから銀座を飲み歩き、最後は自分の中野坂上の家まで連れていくこともあったという。
石塚氏からこんな話を聞いた
「いやこの間ネ。朝起きたら隣に知らねえ野郎がグースカ寝てやがるン。カミさんに、おい、コイツはどこのどいつだ? て聞いたんでさ。すうってえと」
「ヤダねえお前さん、あんたが昨日の晩に、おい、コイツ今日知り合ったんだけどネ、いい奴でねえ、よし最後は俺んちで飲もうじゃねえかって、連れてきたんじゃないの」。
落語を地でいく人だった。
京橋時代、初代、息子、孫と三代で切り盛られていて、大抵は息子が切りつけ親父が握り、孫が燗をつけるなど、酒周りのことをしていた。
ある日僕がぬる燗を頼むと、しばらくして孫が持ってきて親父に渡した。
すると親父は徳利を持った瞬間に言う。
「これは熱燗じゃねえか。こちらさんはぬる燗って言ってんだからダメだろう。しょうがないねえ。こいつは俺が飲んじゃおう」。
落語である。
ある日はスミイカを見た途端に、その姿の良さに切りたくなったんだろう。
「今日は俺が切るわ」と、息子からもらう。
包丁を当てようかというその瞬間に、また口を開く。
「やっぱり、イカは滑って危ないん。お前がやりな」とイカを息子に戻したのである。
もう親父さんはいない。
息子さん(といっても僕と同い年だから60すぎ)とお孫さんが二人で切り盛りしている。
江戸前の仕事が施された握り寿司を噛み締めながら思う。
また親父さんに会いたいねえと。