「もし今後の生涯、三軒しか居酒屋や割烹に行けないとしたら」という質問があれば、必ず「正一」を選ぶ。
銀杏と百合根、むかごの塩煎りに始まり、柿と干し芋の白和え、鯖の船場汁と続く。
白和えは、味付けがこれ見よがしでなく、芯に貫いた仕事が舌を冴えさせる。
船場汁は、大阪の問屋街である船場から生まれた実質主義の固まりのような椀で、骨や身からにじみ出た滋味が、出汁となじみ、大根と交流し、深々となって胸を突き上げる。
濃密でふくよかなうまみが食欲をあおり、もっと酒を飲めと誘う大阪の椀である。
背骨がとろけてしまう汁の陶然に、そっと燗酒を合わせてやる。
ああ人生よ。これが人生よ。
松葉カレイの昆布〆は、しっとりと舌に甘え、鮑は歯と歯の間で磯の香りをにじませる。
香箱蟹の子に目を細め、煮蕗に心休め、上品な鯖寿司に酒を添える。
聖護院蕪は冬への感謝を高め、リンゴの爽やかさを添えた上越のモズクは、粘りに粘って、海の豊穣を伝えくる。
マナガツオとカジキの西京焼きは、秋の終焉と冬の訪れを教えて、充足のため息をつかせる。
絶妙なタイミングで出される丁寧な肴に、ずいぶんと盃を重ねた。
以前、店名の由来を聞いたことがある。
「正」はご主人の名前から、「一」は大阪修行時代に感動した、京都の「南一」にあやかってだという。
青菜の胡麻和えやうすい豆の浸しといった質素な料理だけで、恍惚を呼んだ店である。その味にしびれた福田和也は、「豆の浸しが、絶望的においしい」と書いた。「南一」は、何百年に渡ってケの食材に敬意を払ってきた、京都人の凄みを宿していた店である。
「正一」の料理には、そんな精神に一歩でも近づかんとする愚直さがあって、それが僕の心を引き寄せる。
そんな心を邪魔されたくなく、一人で訪れることが多いが、今回はこの人ならと思う呑兵衛と連れ立った。
その人もまた、今後は一人で訪れるだろう。
「正一」は、そんな彼女を、そしてあなたを。
ビルの奥でひっそりと待っている。