「きょうはどんな肉があるの?」
フレーゴリに入って、まず僕は聞く。
その途端、シェフの甲斐朋宏さんやサービスの村上伸二さんは、うれしそうに目を輝かせる。
「天草梅肉ポークの肩ロースが入ってますよ。あ、きょうは馬のスジもあるし、馬刺し類や馬のロニョンもおすすめします。あとはイギリスのキジもあります」。
唾が出始め、胃袋が鳴る。背中がドンドンと押されて、食欲が前のめりになる。
「豚は炭火でじっくりとグリルします。馬のじん臓、ロニョンはロースト、キジもローストして、白ワインとフォンドボーベースのソースを添えます。肉類はパスタ料理に仕立ててもおいしいですよ」。
さあどうだとばかり、力のこもった甲斐さんの言葉が追い打ちをかける。
ううむ困った。メインは馬か豚かはたまたキジか。パスタはどうする。魚料理も食べたい。思いは千々に乱れ、片っ端から食べたくなる。
そこで結局、量を調整してもらって、ほとんどの肉料理を頼むことにし、間に間に旬の野菜料理と魚料理を挟むことにする。
あるいは、肉食らってやるぞぉと、前菜からテリーヌや自家製ハムで飛ばす日もある。 食いしん坊心をあおるのだ。この店のメニューは。
黒板に手書きされたメニューは、イタリア料理あり、フランス料理あり。そのどれもが素材の存在感を際立たせた、力強さがみなぎる料理なのである。
食べ慣れた人ならだれしも、メニューを見ただけで腰が浮き、胸がざわついてくるのに違いない。
では実際食べてみよう。ニンニク、パセリ、タマネギを混ぜ込んだ豚のど肉のテリーヌは、分厚く切られ、練り肉ならではのうまみが口の中で踊る。
ゼラチン質に富み、さまざまな食感が響き合う、ラビゴットソースを添えた豚頭のテリーヌ、テット・ド・フロマージュ。
しっとりと仕上げられた、やさしい味わいの自家製のハム。
脂が舌の上ですっと溶けるタテガミやシコシコとした食感の甘いレバー、脂のコクが広がるフタエゴ(バラ肉)、しなやかな食感に目を細めるフィレ、甘い脂がのったタンといった生肉を、塩、胡椒、オリーブオイルでいただく、名物馬肉のカルパッチョ。
コンフィによって凝縮されたいわしの旨味が、トマトソースの酸味によって引き立つ、鰯のコンフィ。
くったくたに火を通した菜の花の甘みがソースとなって、パスタにからみ合う、菜の花とあさりのオレキエッテ。
あるいは、煮込んだ野うさぎの野趣に富む香りを、もっちりとした強いコシで受け止めるトロフィエ。
舌の上で甘くとろけるキレのいい脂と、甘いジュースが詰まった肉に、思わず顔がほころぶ、梅肉エキス入りの資料で育ったという天草梅肉ポークのグリル。
コリコリとした食感、鉄分の香りが、肉好きの血をたぎらせる、ロニョンのロースト。 どうです。すべて食べたくなりませんか。あとは廉価に揃えたワイン類から適当に選んで、ひたすら飲み、食うだけである。
食べ、飲む喜びに身を任せ、日々の垢や疲労から脱却する。フレーゴリは、そんな喜びを満たして、くだけた顔で食事を楽しむお客さんたちで満席である。
この店こそ、カジュアルダイニングという名がふさわしいのではないのか。
二年前に続出したカジュアルダイニング。その言葉を掲げた店たちは、フレンチ、イタリアン、中華、和食という枠組みにとらわれない料理、フランクな接客、コースでも一品だけでも、食べたいものだけを選べるシステムをコンセプトにし、大いに賑わった。
確かに楽しく、くつろげる空気はあったのだが、同時に、僕はどこかで居心地の悪さを感じていた。
大手飲食店グループがマーケティングを重ねて作った、空間、接客、料理は、客にどうウケルかということに重きを置きすぎて、浮ついていたのだ。特に料理は、小手先の変化球ばかりで、食べる喜びということが欠落していた。
客は自由のようでいて、実はコンセプトというレールに乗らされていただけなのである。 我々は、直球勝負、素材の剛速球によって、日常を忘れ、くつろぎ、笑い、友や恋人と食べる喜びを分かち合いたいのだ。
フレンチやイタリアンの垣根を越えて、食いしん坊心に直球を投げ込んでくるフレーゴリ。僕はいつもここで、レストランとは元気を与えてくれる場所だ、ということをかみ締めている。