高知「京や」

高知に来ると会いたくなる人が多くいる。
その一人が「京や」の京ちゃん、御年八十数歳になられる割烹着の似合う、素敵なおばあちゃんである。
ここにきて食べなくてはいかんのが、干物である。
「珍しく夏カマスが入ったの、食べる?」
こちらの返事も待たないうちから焼き出した。
小さな体には、微かな甘みが潜んでいて、愛おしくなる。
「高知の人は、リュウキュウをよく食べるんよ。でも私はね、うるめがないと、こん料理は作らんき」。
そう言って出してくれたのは、ウルメイワシとリュウキュウ(ハスイモ)、新生姜とゴマの和物である。
イワシもリュウキュウも、百年前から親戚だったかのように、馴染んでいる。
そして冷奴は、高知市の外れにある三日月豆腐店のそれで、硬く重く、豆の甘味がある田舎豆腐に新節がこじゃんとかけてある。
「フルーツトマトはちっちゃいのに三百円もするでしょ、高いきにね、そんで普通の安いトマトを美味しく食べるやり方を考えたの。食べる?」
新玉ねぎの上に、湯むきしたトマト、上には紫蘇と自家製ガリを乗せ、柚子胡椒を聞かせたタレがかけられる。
「どう美味しい?」
「いやあ、おいしい。おいしい」
そう言うと、子供のような笑顔を浮かべられた。
どれも彼女の味である。
彼女の人生が生んだ味である。
女子高生の頃、吉田茂のウグイス嬢をやられていたという彼女の味である。
「旦那は死んだけど、孫が元気で毎日楽しい、今でも感動できる心があることが感謝しとる」。
そう言って可愛らしい目で微笑まれた。
高知に来ると会いたくなる人が多くいる。
それはこの町が、人情の町であるからである。