それは不思議な一皿だった。
「丸十の水煮です。出汁は使わず、水と塩だけで炊きました」。
そうご主人は言われた。
まず不思議なのはその丸さである。
よくこんな球形に整えたと感心する。
包丁で丹念に丹念に削っていったのだろうが、常人技ではない。
しかもこれなら相当大きなサツマイモを使っているのだろう。
次に表面である。
このサツマイモと水を一緒に炊いたなら、いくら弱火でやっても表面が剥がれ、崩れてザラザラになってしまう。
おそらくこの球状芋は、別に蒸すなどして入れているのかもしれない。
それとも火加減の手練れか。
次に不思議なのはつゆである。
淡い旨味が存在して、それが舌の上を揺らめきながら流れていく。
サツマイモだけで、こんなうま味が出るのだろうか?
おそら削りカスなどを炊いたのかもしれないが、こんなうま味が出る食材ではない。
これは「明寂」の一皿目であった。
シンプルに、澄んだ味わいでも味覚と喉を洗い開かせる、清い、水の料理である。
「季節によって野菜は変えるのですか?」 そう聞くと
「はい変えていきます、野菜を食べたとき感じてきたのは、水の力です。その水をそのまま出したい。自分の力や思いを消して」
そう言われた後に、
「でもまだ理想へはまだまだ、自分を消せていません」。
孤高の高みを目指すご主人は。そう静かに言われた。
六本木「明寂」にて。