人間と食の関係。

食べ歩き ,

自分の体の中で、何かがカチリと音を立てて動いた。
掘り立ての人参を蒸し、白髪葱と唐辛子を乗せ、醤油をかけただけの皿である。
人参を食べた時、何かが鳴動した。
人参は芋のように、ほくほくとして穏やかな甘さを舌に落とす。
甘やかさとほの苦い香りをそっと、鼻に漂わす。
養分を感じて、おいしいを超えた本能が目覚めていく。
人参への先入観や今まで食べてきた人参料理への記憶がすうっと消えて、そこには、素直に、純粋に喜ぶ自分がいた。
これが原初の「食べる」という行為なのだ。
食べて幸せを感じるということなのだ。
次に出されたのがカブのスープだった。
カブと鶏肉の蒸し汁を混ぜ、辛子菜漬物と辛子菜オイルを添えたスープである。
飲んだ瞬間、全身の力が抜ける。
「はあ」と、言葉にならないため息を吐いたまま押し黙る。
おいしい。
だが言葉は出さずに、自らの感覚を観察してみたかった。
カブの甘さもある、鶏の甘みもある。油のコクも辛子菜のアクセントもある。
だがそれを超えた、ゆうに言われぬ慈愛が揺れて、ゆっくりと体に染み込んでいく。
おそらく一人で食べていたら、涙していただろう。
これまた食べるという意味の根源を、問うてきた。
毎朝飲みたいと思った、
だが都会でこれと寸分違わぬスープをもし飲めたとしても、同じ感覚は起きないだろう。
この田舎で、澄んだ空気の中で、樹々や野菜や動物など生物に溢れた空間で食べてこそ感じることなのだろう。
また来たい。
感覚を研ぎ澄まし、精神を洗い、本来の人間と食の関係を感じるために、もう一度訪れたい。
京都府 綾部市「田舎の大鵬」にて。