世界中で朝食を食べた。
でもここは、トップ3に入るかもしれない。
朝起きると、竃から煙が上がっていた。
何を焼いているのだろう。
凛とした空気が流れる食卓に、朝食が運ばれる。
ふっくらと炊かれた、地の山白川大豆の煮豆。
夏の終わりを伝える、茄子と茗荷の和物。
昨日出汁をとった昆布の佃煮。
うっすらと甘く炊かれた夕顔は、噛むまでもなく崩れ、紫蘇の葉が爽やかを運ぶ。
心を和らげる酸味をまとった、筍と人参の飯寿司。
やがて玄米のお粥が運ばれる。
店主自ら自然農法で育てた、「遠野1号」の玄米だ。
玄米特有の薄茶色の香りが丸く、ささくれだった心を撫でるように体に吸い込まれてゆく。
噛んで噛んでその先に滲む甘みが、地平線の彼方まで優しい。
もろみ味噌を載せて食べれば、うまみが米に沈澱していく。
「この地方は雑魚食と言って、よく川魚が食べられていました」そう言って運ばれたのは、鮎の塩焼きである。
さらには松茸の味噌汁。
肉厚で、ふくよかな甘みが弾けるピーマン丸焼きが続く。
どの料理にも筋が通っている。
食材に自己を出すことなく、静かに寄り添う自然がある。
体の芯から整った。
これこそが朝食の役目だろう。
思わず聞いた。
「お二人は毎朝玄米かゆをたべられているのですか?」
「はい。玄米粥と味噌汁、野菜の煮物」です。
そう答える佐々木さんの顔は、誇らしげでもなく、いつものことですがというさりげない表情をされていた。
羨ましい。
現代では、これこそが贅沢である。
同じように、さらりと言える朝食を、毎朝とりたい。
そうつくづく思った。