文琳

食べ歩き ,

いいねは少ないだろう。
高級食材があるわけでもない。
色合いが映えるるわけでもない。
だが真の福は,ここにある。
青菜の囁きを聞いた。
台湾A菜を、塩と水、ニンニク、紹興酒だけで炒めた料理である。
器に顔を近づけると、青々とした甘やかな香りが顔を包む。
食べると淡い。
ニンニクや紹興酒の影すら感じない。
塩もたっていない。
薄い味わいだからこそ、神経を傾ける。
一噛み一噛みに集中して、味わう。
よくよく噛んで青菜が口から消える頃、甘みが立ち上がった。
A菜に潜んでいた養分の滴が、舌に広がり、細胞に染み渡っていく。
「青菜炒め」とは、塩分やスープの旨み、ニンニクの香りを借りて、酒を飲ませ、ご飯を食べさせるものではなかった。
人間が青菜をいたわり、思いやり、静かに情を交わす料理なのだ。
六本木「KOBAYASHI」 今はなき渋谷「文琳」再現の会。
最初は豚肉だった。
豚の味わいが、やさしく広がっていく。
次に戻したスルメイカの味が追いかける。
豚挽肉は柔らかい。スルメは歯応えがある。
だから一緒に食べるとスルメだけ口に残って、30回以上噛むことになる。
だが不思議なことに,豚とスルメは一つになっていく。
豚でもない、スルメでもない。
互いの持ち味を譲り合い、一つの丸い、大きな宇宙を作ってみせる。
六本木「KOBAYASHI」 今はなき渋谷「文琳」再現の会。「豚肉とスルメの蒸し物」
「ニンニクの茎と豚バラ肉の炒め物」が運ばれた。
珍しい料理ではない。
だが、茎を一本食べて目を丸くした。
なんと甘い香りが漂うのだろう。
柔らかな香りが,心を抱きしめ、鼻に抜けていく。
「最初に高音の油で油通しします」。
茎は香りがたって、より青々しくなる。
塊から細く切り出した豚バラに、塩と酒、極少量の醤油で味をつける。
茎と合わせる。
ただそれだけの料理が、しみじみと心を打つ。
おばあちゃんが孫のために作った慈愛があって、穏やかな気分を運んでくる。
これが河田シェフの料理なのだろう。
「最初に食べた時には、こんな味が薄くていいのかと思いました」。
小林シェフも、今から約30年前に「文琳」の料理を食べた印象を話された。
淡にして素。
真理が息づいていた。
「真理は常に、もっとも簡素で、もっとも飾りのない姿をして現れる」。
岡倉天心