カボチャも豆も、白きくらげも蓮根も、美味しくしすぎてはいけない。
そうわかっているのに、やりすぎてしまう。
美味しすぎる料理に、味蕾は甘え、堕落し、養分のあるものこそおいしいと感じる、本来のセンサーを鈍らせる。
能登の「茶寮 杣径」。
能登の塗師赤木明登さんと料理人北崎 裕さんが作る、この山中の寓居、オーベルジュに、ウー・ウェンさんが来られて、北崎さんとコラボをする晩餐が行われた。
84歳の木地師が形作った器に、赤城さんが塗られ仕上げられた。
事前に北崎さんが「手に入らないものも多いです。 手に馴染んだものがあれば、食材、調味料、道具など、 持ってきていただければと思います」とお伝えすると、ウーウエンさんは言われたという。
「いえ、大丈夫です。 全部そちらにあるものと道具でやりましょう。私の台所は世界にひとつ。 どこへも持ってはいけない。 私が持っていけるのは、 自分の体と知恵と経験だけ。 でもね、そうしたら、火と水があるところなら世界中が私の台所よ!」
黒い漆器に、白、黄色、茶、黒、緑、赤の色合いが座る。
砂糖は使わず、僅かな塩に香りや辛味を絡めた料理である。
カボチャは、柔らかすぎず、固くもない。
歯が、カボチャという繊維を感じてゆっくりと入っていく、そのジャストに蒸され、砂糖を使っていないので、カボチャ自身の甘みに気づく。
無垢なる純粋の甘みに、舌がゆっくりと目覚めていく。
僅かにつけられた四川風の辛味が、清廉な甘みに輝きを与える。
紫花豆も、砂糖は使わず僅かな塩だけで茹でられた。
八角とシナモンの甘い香りがかすかに漂い、豆の優しさを膨らます。
塩麹と赤万願寺によるソースが添えられたサワラは、笑っているようであり、春菊の苦味ソースをかけられた蒸し鶏は、穏やかな滋味を誇る。
そしてお米に、 粟、 キビ、豆など入れて作った八宝粥は、淡く淡く、その淡さを感知した舌が、本能に従いはじめ、粥に溶け込んだ慈愛を受け止める。
素朴であるということは、なんと美しいのか。
この粥を食べて、味わい、飲み込んだ時、涙が出そうになった。
だがまだ食事は始まったばかりである。