どこにでもある料理が、唯一無二の光を放っている。
これほど不思議で、価値のあることはない。
しかしこの店ではすべてがそうなのである。
例えば「いくらの醤油漬け」。
いくらへの醤油地の入り方が、これ以上でも以下でもない。
醤油地といくらの境界線がなく、どこまでも丸いのである。
例えば「イカの塩辛」。
こんなに綺麗な塩辛はここにしかない。
それでいてイカ肝が熟成した濃密が攻めてくる。
だがいやらしさは微塵もなく、澄み切った味わいなのである。
味にほだされて、褒めると親父は言った。
「塩辛もイクラも、我々夫婦のおかずだからね。そりゃあ、真剣に作ってるからね」。
いやあお客さんに出すものだって半端がない。
例えばこの「牡蠣の南蛮漬け」である。
初めて食べた時に衝撃を受けた。
周囲のヒモが固くないのである。
揚げるとどうしても固くなる、
しかし生食の時のようにしなやかなのである。
それを褒めると親父が、嬉しそうに言った。
「父親のやるのを見よう見まねで始めたんだけどね。どうにもうまくいかない。ようやくコツがわかったのが5年くらい経った時だったかな」
例えばこのお造りである。
この店でのお造りは、年中「ヒラメの昆布締め」を出す。
一年通って驚いたのは、どの季節でも同じ味なのである。
昆布の締め具合も年中同じで、ピタリと決まってブレがない。
だがヒラメの質は季節によって変わる。
それなのに同じ味に保つというのは、様々な仕事に繊細な配慮をしているのだろう。
並大抵の仕事ではない。
例えばこの「昆布の佃煮」である。
ヒラメを締めた昆布を佃煮にしたものだが、甘辛さの向こう側に、
うっすらとヒラメの味がいるのである。
こんな佃煮の仕事は、日本、いや世界中探してもない。
感動して褒めると、親父は言う。
「当たり前さ。これも我々のご飯用だからね、必死さ」。
心底料理が好きな人なのである。