小田原「杵吉」

今夜も「杵吉」の夜は更けていく。

食べ歩き ,

「私が作ると辛くなっちゃうんだけどね」。
そう言って女将さんは、わさび菜の煮物を出された。
一筋食べると、煮汁の甘みから辛味がツンとにじみ出て、鼻に抜ける。
「こんちきしょう」と、呟きながら、菊正のぬる燗を煽る。
わさび菜の煮物は、こうでなくてはいけない。
「せっかくおいでいただいたのに、今日は市場がお休みなので、たいしたものはできません。申し訳ありません」と言って、いつものお刺身はないようだった。
「焼き魚は?」と聞くと、
「今日は、太刀魚と銀むつを漬けたのがありますよ。どちらになさいますか?」と言いながら、目が嬉しそうに輝いた。
きっと自信があるんだなと思い、
「両方いただきます」と、お願いする。
やがて現れた太刀魚は、塩加減がピタリと決まって、空気を含んでいるかのようにふわりと舌に触れて、品のあるうま味を伸ばしていく。
「昨日から漬けたので、ちょうどいい漬け具合だと思いますよ」と、手渡された銀むつは、てらりと輝き、手招きする。
箸を入れればほろりと崩れ、熱々を頬張れば、笑いが出た。
漬け地の甘辛さと魚の脂の甘さが一つとなって丸く膨らみ、僕の背骨をぐにゃりと緩める。
「おいしいなあ」というと、
「ありがとうございます」と言いながら、上目遣いで、少女のような笑みを浮かべられた。
「店の前を打水されているお姿と、打水のされ方が美しかった」というと
「しないと店が始まったという感じがしないんですよ」と、静かに言葉を繋ぐ。
菜の花の茹で具合と浸し地の味わいも、「塩と酒だけで煮ただけです」という帆立の酒煮も、「かすべの揚げたの食べる?」と聞かれて頼んだ揚げ物も、「これ自分で食べるようにと思ってとっといたんだけど」と言いながら出してくれた蕗の薹の煮物も、すべて、恐ろしいほどにおいしい。
調味料も揚げ油も特殊なものは使っていなのに、一流の味である。
それは彼女の歩んできた人生の、徳性が育んだ味なのだろう。
でなければこんな料理は、生まれない。
以前小田原もいいアジが獲れなくなってねと嘆かれていたことを思い出し、「アジは最近はどうですか?」と、尋ねると、
「ダメね。有名な料理雑誌から、アジフライの取材させてくださいと頼まれたんだけど、お断りさせていただきました。だってね、いいアジを手に入れて取材してもらっても、いつまでもいいアジが出せるとは限らないでしょ」。
この誠実が、店の品位を形作っているのだ。
「サンマもね。去年はとうとう出せなかった」と、寂しそうにいう。
きっとサンマが入手できないということではない。
彼女の目にかなった、サンマがないのだろう。
店は、お母さんの代から70年続く。
「70年とはすごいですね」というと、
「いえ長いだけですよ」と、80になられる女将さんは、さらりと言われた。
店は小田原駅前にある。
この店あるというだけで、僕は生きている意味がある。
女将1人に、客が数人。
今夜も「杵吉」の夜は更けていく。