それが「Mondo」宮木シェフの料理なのだ。

食べ歩き ,

19:30。
朝9時に絞めたという村さんの寒ボラは、ボラ特有のボケた味の気配が微塵もなく、シャープに舌に切り込んでくる。
うま味が太く、温かい。
口の中でほろりと崩れると、芽キャベツの拙い優しさと、そっと抱き合うのだった。
そしてコチは、五日間寝かせて、ホワイトアスパラガスと合わせてある。
コチの洗練がほんのり艶を帯びて、舌を誘惑し、心を焦らす。
甘夏の皮を溶け込ませた油が、その艶をエレガントに包み、ホワイトアスパラガスの純真が、恥じらうように鯛と共鳴する。
ああまだ二皿。
コースは始まったばかりだというのに、僕は波間に浮かんでいる。
次のマナガツオは、玉ねぎの海の中にいた。
グリルされ生温かい温度に保たれたマナガツオは、口の中ではらりと花弁のように崩れて踊り、そうかと思うとしっとりと舌に吸い付いてくる。
マナガツオのゆるぎなき気品を、酒粕のうま味を潜ませた玉ねぎの甘みが、ゆっくりと持ち上げる。
脳みそが溶けて行く。
どの料理にも人間の驕りがない。
魚をねじ伏せて、我々人類の好みに仕立てるんだという、傲慢がない。
純粋に魚と対峙し、感謝と信頼と敬意を込め、手をかけた、誠意の味がある。
常識にとらわれない、子供のような無垢な目で見た興奮と喜びが皿から立ち昇って、食べる我々の心を洗う。
それが「Mondo」宮木シェフの料理なのだ。