荒木町「たまる」

荒木町に夜が落ちる。

食べ歩き ,

花街の面影が残す石畳に、夜が落ちた。
暗闇が迫る路地に一軒、明かりが灯る。
大きな提灯には、「あんこう」とだけ、書かれていた。
木戸をガラリと引く。
「こんばんは」。
「いらっしゃい」。
厨房にいた白髪のご主人が、声をかけてきた。
御年84歳、先代から受け継ぎ、50年以上この地で営まれている。
カウンターの上は、昔ながらの半暖簾と庇があり、小上がりの上は、網代天井が時を経ていた。
清潔な白布で覆った、カウンターの椅子は6席ある。
かつて一番右端は、座る方が決まっていた。
渡辺文雄、石津健介、三宅一生、木下恵介さんなどである。
皆お一人できて、ゆっくり飲んで帰られたという。
ある日石津さんが来ると、定席に見知らぬ男性が座っていた。
しばらく隣の席に座って逡巡していた石津さんは、席を指差し、「そこ僕の席」と、言われたそうだ。
可愛い逸話である。
またある日は、石津さんの行きつけの店として、雑誌の取材が入った。
のれんを潜る石津さんや、料理を食べ飲む石津さんを撮影した後、記者が「ご主人、石津さんへお酌するところを撮りたいのですが」と、言ったところ、石津さんは
「ここはそういう店じゃないから」と、きっぱり断ったという。
突き出しが出された。
「稚鮎の南蛮漬け」である。
江戸風に、酢をきっちりと効かせた南蛮漬けが、食欲に火をつける。
揚げられ、酢に漬けられてもなお、稚鮎の風味を残している仕事に、酒が進む。
脇には蕗の薹を煮たものが添えられていた。
ああ、これだけで半合はいける。
「それうまいでしょ」。厨房からご主人が声をかけてきた。
「河岸のある店で売っててね、見つけたら買ってくんだ」。
次は、「アワビの酒蒸し」だった。
噛めば海の豊満が、じわりと滲み出る。
すかさず、するりとぬる燗を合わせる。
時期の名物「筍煮」が出された。
「筍煮」と言っても、そんじょそこらにある「筍煮」ではない。
江戸風の甘辛地をからめて艶を出した「艶煮」である。
竹絵の小鉢に入れられた「艶煮」は、木の芽など余計なものは添えられていない。
熱々を口に運ぶ。
ハフハフと言いながら、味わう。
甘辛い味が来た後に、筍の切ない香りが鼻に抜け、淡い甘みが花開く。
こってりとした濃い甘辛さであるが、不思議なことに、筍に勝つことがない。
逆にその濃厚が、筍の淡さを、はかなさを引き立てる。
いわゆる薄味で炊いた筍よりも、筍の自力を目覚めさせるのだった。
以下次号。
 
荒木町「たまる」