食べ歩いていると、時々運命を感じる。
松本市での夜は、ぎたろー軍鶏の焼き鳥と決めていた。
そして締めには、「美味城」でサイ炒飯だな。
ところが焼き鳥屋は臨時休業、Bプランの名酒場と言われる「きく蔵」に電話かけるも満席、いきなり「美味城」で中華攻めも味けない。
そこで「あや菜」という店に電話してみた。
「お一人ですか? はい。お席のご用意はできますが、子供が一人走り回っていてうるさいですが、大丈夫でしょうか?」
常連客の子供だろうか?
「はい、伺います」と、言って電話を切った。
店は、江戸~大正時代の蔵造りの建物が多く残る中町通から少し入った、閑静なところにある。
「今晩は、電話したものです」と、店に入ると、男の子と60代の男性客がいた。
「いらっしゃいませ」と、40代前半の女性が一人挨拶する。
「昨日まで満席で、お客さんをお断りしていたんですが、今夜は空いています」と、笑う。
ここにまず、小さな運命が転がっていた。
「すいませんうちの子なんです。私一人でやっているものでして」。
お母さんの姿はない。
「実は母とやっていたんですが、コロナで休業している間に体調崩しまして、今施設に入っているんですよ。だからずっと休んでいて4月から再開したばかりなんです」。
また小さな運命が転がっていた。
生ビールを頼むと、突き出しが運ばれた。
「サバの水缶と山菜を煮たものです、地元の料理なんです、こちらは、冷奴の上に、ホタルイカの沖漬けを残したものです」。
こりゃ大至急酒だなと思い。大雪渓の熱燗をお願いした。
さらに肴は、松本の郷土料理の「塩いか胡瓜」と、(店主じかどり)と書かれた、「のびるの塩漬け」、名物と書かれた「鳥きもすき」をお願いした。
「どちらからですか?」
「東京です」。
「なぜうちに来ていただいたんですか?」
そりゃそうだ、名もなき、食べログでも3.09の店に、観光客が一人でぶらりとくることなど、まずあり得ない。
「太田和彦さんで知りました」。そういうと、
「そうでしたか。それでは太田さんからいただいた盃で飲んでいただきましょう」。
そう言って箱入りの江戸盃を出してくれた。
太田さん自らがデザインした平杯である。
さすが呑んべえだな、縁の折れた曲線が酒をうまくさせる。
た小さな運命が一つ。
「塩いか胡瓜」は、新宿の信州料理を出す居酒屋で食べたことがある。
海無し県らしい塩蔵いかを戻し、塩抜きしてきゅうりとあえた、なんてことない料理である。
だがそれは、以前記憶にある味より遥かに美味しかった。
イカの戻し方、キュウリや茗荷の切り方、つけ汁とイカの塩気の塩梅の決まり方なぞ、ただものではない。
「のびるの塩漬け」も、葉先が茎にグルグルと巻かれ結ばれて、美しい。
塩の漬け具合良く、白い部分の細甘みと、葉先に向かって辛くなっていく加減がよくわかる。
「きもすきは普段ネギだけなんですが、今の時期は山菜も入れてます」。
砂肝に鶏肉、レバーを甘辛い味で閉じたすき焼きは、肝類の鉄分や苦味、甘みにネギの濃い甘み、そして山菜の香りと苦味が次々と舌に舞い込んで、酒をぐいぐいと飲ませる。
「すいませんこの冷酒の女鳥羽の泉の純米山廃を燗つけてもらえますか?」
「はい。それでは今度はぬる燗がいいですね」。
わかってらっしゃる。
嬉しくなってきた。
いい酒場に出会えた運命に幸せが競りがってくる。
だがそれはまだ序章に過ぎなかった。
以下次号