関西を代表する鍋の次は、関東の鍋である。
おでんやネギま鍋なども有名だが、ここはやはりすき焼きだろう。
明治5年に明治天皇が初めて牛肉を召し上がったことが報道されるや、首都東京は一気に牛肉を食べなくてはいかん機運が沸き起こり、いのしし鍋が転じて牛鍋屋が次々と開業する。文明開化のシンボルとして、仮名垣魯文の 『安愚楽鍋』によれば、「士農工商、老若男女、賢愚、貧福おしなべて牛鍋くわねば開化不進奴」と、都民がこぞって食べていたという。
なにしろその頃の東京には、550軒もの牛鍋屋があったというから、現在の人口比で言えば五千軒以上もあった計算となる。
一大すき焼きブームが起こったのである。
全国に古いすき焼き屋はあるが、関東を代表する鍋だとするのは、その所以である。
さてそのすき焼きだが、密かに進化と言うか、変化も遂げていた。
「トマトすき焼き」である。
店は割烹である「婆娑羅」で、すでに10数年前に商品化している。
元は賄いで食べていたそうで、それが表舞台にたったのである。
トマトをすき焼きにという発想に驚くが、実際に食べてみると、それ以上の発見がある。
鍋にオリーブオイルをひいてニンニクを炒め、ほんのり香りが出てきたところで取り出し、トマトと玉ねぎを炒めたら割下を注ぎ、野菜類を覆うようにして牛肉を並べで火を入れていき、バジルを添える。
牛肉の焦げ茶にトマトの赤とバジルの緑が美しい。
小皿にとって、まずは100度で50秒加熱したという牛肉を、白身がやや固まった溶き卵につけていただく。
通常のすき焼きに似てはいるものの、トマトの酸味と旨みをまとって、優しい味わいとなっている。
なによりくどくない。
通常のすき焼きだと、牛の脂と割り下の甘さを溶き卵やしらたきなどで一旦切りながら食べ進まないと、濃い味が積み重なって、あきてきてしまうが、この鍋はそんな心配はない。
肉が何枚でもいけてしまう、危険な鍋なのである。
さらにはトマト、玉ねぎ、牛肉以上という、潔さがいい。
トマトの酸味、玉ねぎの食感、牛肉の旨みという三者のキャラクターが明確に際立っていて、これらを出会わせて食べていくと、実に楽しいのである。
トマトと玉ねぎを合わせて食べる。
トマトと肉、肉と玉ねぎを合わせる。トマト肉、玉ねぎを合わせる。
さらにはトマトをぐちゃぐちゃにつぶして、肉に絡めて食べてみる。
これなぞ、バジルの香りも効いて、日本に住んで6年になったイタリア人という風情である。
食べていくうちに、トマトすき焼きは明治時代からあったんじゃないかと思うような馴染み方で、違和感なぞ微塵も感じられない。
さて、この鍋の締めはパスタである。玉ねぎ微塵を入れた自家製トマトピュレを少し入れ、赤ワインを注ぎ煮詰め、茹でたフェットチーネを入れて絡めたら完成である。
食べるとどうだろう。初めて食べた気がしない。
どこかで知っていたような懐かしい味わいがする。
トマトが赤ワインや割下と出会って渾然一体と熟れた味は、味噌のような練れたうま味があって、それが懐かしさを呼ぶのである。
ここに黒胡椒を挽きかけてみる。
不思議なことに瞬間で、気分はイタリアである。
ナポリである。
さらには一味をかけてみる。
すると今度は、韓国に渡ってしまう。なんとも面白いではないか。
これも鍋という食文化が、無限の包容力を持っているからだろう。
鍋奉行協会会長としても、大いに学んだ鍋であった。
そして今度は家で実践し、半信半疑であろう家族を驚かし喜ばせてやる。そう密かに思うのであった。