赤坂「辻留」

銀彩

食べ歩き ,

魯山人が銀を塗って、皿を作っているのを見て、まだ二十代だった「辻留」の辻義一さんは、思わず尋ねたという。
「先生は普段から、自然に学べと言われているのに、なぜそんな、ギラギラと光るお皿をお造りになられているのですか?」
「馬鹿者。この皿が50年以上経ったらどうなる。そのことを考えて、わしは作っているのだ」。
目の前に魯山人の銀彩皿に乗ったマナガツオがいる。
輝いていた銀は、60年近く経って落ち着き、渋く光を放つ。
もう遥か昔から、皿とマナガツオは出会う運命だったのだ。
まながつおは生きている。
半世紀経ち、銀の輝きが沈んだ魯山人の銀彩皿とともに、呼吸をしている。
魚も皿も、人の手がかけられているのに、人間から離れて、限りなき自然の中にいる。
箸をそっと入れた。
甘い湯気が上った。
噛む。
たくましくも優しき味が、細胞に染み渡る滋味が、心を静かに座らせる。
辻留にて。