ある日突然、天丼が食べたくなる時がある。
丼つゆに潜らせた、からりと揚げた海老天を、ガブリと噛み、丼つゆ染みたご飯を、猛然と掻き込みたい。
その光景が浮かぶと、もう、居てもたってもいられない。
天丼が恋しくてたまらない。
その日が来るのは、春が多い。
なぜ冬や夏ではなく、春に天丼が食べたくなるのか。
私だけか、天候か、超常現象か、前世の影響か、錯覚か。
だが、とにかく春になると、天丼を思い浮かべる日が多くなる。
ちなみに、最後の晩餐を天丼と決めている友人に問いただしてみると、そういえば春かなあ、と言っていた。
これは一度学術的に研究してみる必要があるが、推測するに、春の陽気が、天丼の甘辛さと油のコクを喚起させるのではないかとにらんでいる。
また、よくできた天丼というのは、揚げ物なのに重くなく、濃い味わいなのにしつこくなく、春風に似た爽やかさを持っているせいなのかもしれない。
さらにおいしい天丼には、「積まない」。「はみ出さない」。「薄すぎない」という、「三ないの原則」がある。
いきなり何を言い出すんだと思われるかもしれないが、これが、私が考える天丼の理想形である。
「積まない」は、天ぷらをご飯の上にやたら積み上げないという意味である。
一見豪華だが、天ぷらをどけてご飯をほじり出さねばならず、「ご飯と共に掻き込む」という丼精神から、外れてしまう。
「はみ出さない」は、丼から穴子やエビがやたらはみ出していることを指す。
これでは収まりが悪く、粋ではない。
「薄すぎない」は、こっくりと濃い天丼用のつゆを、たっぷりかけて欲しいという願いである。
上品を気取った天丼もいいが、本来の江戸風天丼とは、下手味と粋が共存した庶民の食べ物だと思うからである。
さあそれでは、銀座に天丼を食べに行こう。