翡翠色の珠玉が、淡茶色の湖の中で、静かに時を待つ。
一粒を箸でつかみ、口の中に放り込む。
しわ一つない豆は、歯と歯の間でささやかな抵抗を見せながら、すうっと崩れていく。
豆と出汁の境界線がない。
豆と出汁が抱き合い、小さな天体を宿している。
その時である。
豆の香りが弾けて、鼻の奥に漂った。
春の息吹は、丸く、萌芽への力に満ちて、心の背筋を伸ばす。
「ありがとう」。小さな命に感謝の言葉をかけて、目を閉じる。
「うすい豆のひたしは、ほんまに難しい料理です」と、森川さんは言う。
「今日のお昼にどうして出そうかと、夜中から考えていました」。
本来なら、昼に出すためには、夜中の四時頃から炊き始めなくてはいけないと思う。
しかし豆は、朝九時に届く。
時間を短縮しようと、煮汁の味を濃くしては、豆にしわが寄る。
火加減も焦ってはいけない。
そのため二重の仕事を加えて、いま我々の目の前にある。
「昼すぎたら、もう出汁の味が豆に入りすぎますから、もうこの豆は出せません」。
季節を切り取った刹那の味わいに、丹誠を込める。
そんな日本料理の真は、今消えつつある。
京都「浜作」にて。