常識を捨てる。
無邪気な少年の視線で、考える。
「食材に敬意を払う」だけではない。
唯一無二の料理を生み出すには、上の二つが必要なのではないか。
「明寂」中村英利氏の料理をいただきながら、教えられた。
名物の「野菜の潮煮」が出される。
季節の野菜を水と塩だけで炊いた、料理である。
春の一日は、「新玉ねぎの潮煮」だった。
横に切られて炊かれた玉ねぎが、汁の中で横たわり、その上には半透明の薄皮が置かれている。
「外皮を剥いたところにある薄皮です。普段は捨ててしまうところなのですが、これを食べてみたらどうだろうかと試してみたら、おいしかった。だが炊いては持ち味が消える。
熱いつゆでしゃぶしゃぶするように食べてください」。
そう言われた。
話される顔が、嬉しそうである。
子供が宝物を発見して大人に伝えている、無垢な輝きが浮かんでいた。
薄皮を食べる。
しなやかな繊維を噛むと、透き通った甘みが滲み出た。
おそらく直前に剥かれたものだろう。
土中で玉ねぎを守っていた、慈愛がある。
天女の羽衣とは、こういうものでないかと夢想させる、繊細さがある。
続いて汁を飲む。
途端に、体中の細胞が弛緩した。
玉ねぎという命が持つ包容力が、人間の汚れた感覚を解放し、清めていく。
「はあ」。
ため息ひとついて、玉ねぎを口に運ぶ。
一枚、一枚。
外から芯に向かい、食感や味わいを確かめながら食べていく。
中心に向かうに従って、柔らかく、はかなさが増していく味わいを、舌が受け止める。
普段は気がつかない、華奢な息吹が吹き抜ける。
どうだろう。
我々も、しがらみや常識が剥がれ落ち、少年へ戻っていくのだった。
六本木「明寂」にて



