僕は肉屋の息子でしたから、調理場では、料理もしたことがないのに、「肉屋の息子なら、おまえ肉扱えるだろう、これ骨おろせ」とか言われて。
この調子では肉を色々扱わされるぞと思い、すぐ家に連絡して、肉屋ですから家にある肉のおろし方教本を送ってもらい、一生懸命勉強しましたね。
牛や豚、子羊は頭ごと来ます。それをチャンバーでさばくんです。
ただ、わからないことは、聞けば教えてくれました。だから何でも聞きましたね。
言葉がわからないですから、最初は小さな辞書を引いていたんですが、そのうち面倒くさいから日本語の意味を抜きにし、見た目とイタリア語でそのまま覚えました。だから覚えるのは早かったです。
ただ、帰る気がなかったので、帰国後、それを日本語で教える時に困りましたね。日本語の調理用語を知りませんでしたから。
「ENALC」は、ホテルとしても営業していましたから、普通にお客さんが来るわけです。僕らはお客さんがお金を払って食べる料理を作らなきゃならないから、ホテル学校では自分が作った料理を食べたことないです。
すべてお客さんへ出しますから、絶対に失敗はできません。シェフに怒られると当分やらせてもらえなくなりますから、一発勝負には強くなりました(笑)。
言葉もわからないし、よく考えて、シェフのまねをするのが一番いいだろうと。それで、シェフの動きを徹底的に見て、タイミングのはかり方も、動作も同じにしました。
だからいつもそばにくっついて、わからなければうるさがられるぐらい質問しましたね。そのおかげで、入って三カ月ぐらいでは、大体やらせてもらえるようになりました。
僕の場合、二月途中から入っていますから、ほかの生徒は三月の終わりで卒業して、今度新しい生徒がくるまでの一カ月間は、生徒が僕だけなんです。だから、僕に仕事をやらさざるを得ないわけです。
忙しい調理場だと最初はついていけないから、お菓子とパンの方を一カ月半ぐらいやっていました。合間にちょこちょこと調理場を覗きにいっていたおかげで、大体のことは出来るようになっていきましました。
その上四月は生徒がいないし、結婚式の披露宴があったりして忙しいので、その期間は集中的に色々な仕事をやらされました。
ホテルですから、肉をさばく量もスピードも半端じゃない。宴会もあるし、朝はブリオッシェとかクロワッサンを焼かなきゃならないですから、前の日から用意します。
しかもシェフの休日は僕が代わりにやらなきゃならない。他の生徒と違い、言葉がわからない分、講義を受けずに実習ばかりしていたので、あっという間に追い抜きました。
初代日本イタリア料理協会会長の吉川敏明シェフ。料理人として始めてイタリアの国立学校で学び、イタリア料理黎明期だった日本に帰国後、一九七七年に西麻布で「カピトリーノ」を開店。今のイタリア料理の隆盛を形作った方です