いいね!はきっと少ないだろう。映えない写真である。
ご主人は丸大根を取り出すと、端を切り、正確に七等分に切り、面取りをされた。
鍋に張った出汁に大根を入れて、火にかける。
それから約20分だろうか。香りだけを嗅いで、火からおろした。
皿に盛ると、ぽつりと一言、「丸大根の煮物です」といって、客の前に運ぶ。
ただそれだけだが、そこには無限の宇宙が広がっていた。
大根には塩も醤油も、何も味を入れていない。
大根と出汁の味だけである。
慎重に箸を入れ、口に運ぶ。
熱々の大根に歯が入り、崩れていく。
いきなりおいしさは、来ない。
だが意識を集中し、ゆっくりと口を動かしながら、大根の声に耳を傾ける。
味をまさぐろうとする舌や鼻は、自ずと鋭敏になり、淡い淡い大根の味を受け止める。
そこには、今までの大根煮では感じなかった、輝きがあった。
土中の養分を吸った穢れなき純粋が、精白な甘みが、朝露のようにぽたりぽたりと落ちる。
味覚の汚れが落ち、浄化されていく洗練がある。
写真をご覧いただくと、煮汁は張られていない。
だが食べていくと、大根に含まれていた煮汁が、皿に溜まっていく。
最後にそれを飲んでみた。
ああ。
汁は、大根そのものである。
何者にも邪魔されない澄明な滋味が、意識を清め、体を虚空へ浮かべる。
ああ。
再び僕は言葉にならぬ充足の息を漏らし、箸を置いた。