一口食べた途端、目の前の霞が晴れた。
心が安寧に包まれて、のったりと横たわった。
凍み豆腐とウニ。
抱き合いそうもない二つの食材が、なにごともなかったかのように、自然に寄り添い、互いの持ち味を共鳴させている。
ウニは決して出過ぎずに、豆腐の持つ優しい甘味と静かに馴染み、互いが互いを敬愛しあっている。
最近の日本料理で見かけるこのような料理では、うすい豆の豆腐の上にウニが「どうだ」といって、乗せられている。
薄緑の豆腐にウニのオレンジ色は美しい。
しかしそれでは、ウニの味が勝ちすぎて豆腐の持ち味が消え、かつ豆腐とウニの味が合わない。
料理を出す、料理をするという「意識」は、皿の外へ飛び出し、我々の心を打つことはない。
しかしこの料理は、適妙なウニの加熱と、ウニを豆腐の下に置くことによって、凍み豆腐とウニが見事に抱擁した、新たな天体を生み出している。
ウニがてれんと舌に甘え、豆腐が湯葉のようにとろんと崩れて甘く、ウニと溶け合う。
そこへ青柚子が香って、味を締め、季節を漂わす。
時折思う、日本料理はどこへ向かうのかという不安を払拭してくれる、これが「日本料理」ではないだろうか。
同席した、京都の摘み草料理の主人が食べて、言っ放った。
「うまい。てらいがない。まいりました」。
聞けば主人は、上野にあった「招福楼」の料理長までなさった方である。
しかし招福楼の技は活用しても、この北海道の地に招福楼の味は持ち込まない。
日本中で京料理が出される中、地の食材を見つめ、高級な食材も安価な食材も同等に扱い、生かす。
この一皿こそ、「旬を生かし、心を持ってもてなす」という日本料理の心が集約された料理だった。
北海道 栗山 「味道広路」 「ウニと凍み豆腐の煮物
一口食べた途端目の前の霞が晴れた
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