「花いち」中後編

食べ歩き ,

「花いち」にて前編、中編から続く
「わたりがに」が運ばれた
口に含めば、しっとりと甘い。
殺したくウリのシャキシャキした食感が、蟹の食感としなやかな甘さを、そっと引き立てる。
続いては、煮た細牛蒡が添えられた「こちの煮物」である
その牛蒡の煮え具合が憎い。
煮すぎておらず、青っぽい香りがすうっと流れ、加熱されても尊厳さを失わないこちの品と、共鳴するのであった。
 
「さわらの西京焼き」である。
なにより鰆の質が素晴らしい。
お造り同様、ふわりとして、優しい甘みを流すのだが、白味噌の味が控えめで、鰆の甘みに敬意を評しているような塩梅であった。
鰆の食感と対照的な梅酢蓮根が、これまたいい仕事をしている。
 
「いわし煮物」と来た。
醤油の黒をまとった皮の銀が輝き、早く箸を伸ばして」と、誘いかける。
食べれば、煮汁の味はしっかりしているが、強くなく、脂が乗ったいわしの味を、丸くさせているのであった。
 
「太刀魚塩焼き」も運ばれる。
醤油を数滴垂らしてあり、もみじおろしと生姜の甘酢漬けが添えられる。
盛り付けがまた的妙かつ精妙であり、美しい。
太刀魚は、ふうわりと口の中で崩れ、甘く儚く消えていった。
 
「やりいかと干し芋の天ぷら」である。
ああ。ヤリイカの美味しいこと。
命の躍動があって、歯が喜んでいる。
一方干し芋は、最初から甘くない。
15回くらい噛むと甘みが滲み出てくる
いかと芋の甘味を、微かに散らされた大徳寺納豆の塩気が引き立てるのであった。
 
「はんぺん」である。
当然ながら市販のものではない。
目の前ですり身をまとめあげ、揚げた「はんぺん」である
だから自然な甘みがある。
どこまでも優しく、わずかに入った牛蒡の香りが、はんぺんの穏やかな甘味を際立たせるのであった。
すりおろしたばかりの生姜を添えて。
「花いち」の料理は、かくの如く、すべてが作り置きはなく、アラミニットである。
命と料理人の勢いが料理の中にあって、それが我々の心を打ち鳴らすのである。
中後編終わり。次回に続く。
後編は椀物と、いよいよ締めのご飯である