北海道栗山町「味道広路」

無骨な姿に秘めしもの。

食べ歩き ,

そのお椀は、一見無骨である。
普通は、椀種が中心にあり、それが冴えるように小さな椀ツマが添えられ、吸い口がある。
しかしこのお椀は、青ソイという椀種があり、揚げナスも椎茸も青ソイと同じく大きく切られ添えられている。
つまり椀ツマはなく、三つが主役なのである。
割烹の世界では例を見ない姿であり、無骨で野暮ったく、田舎臭いと言っても良い。
まず最初に、一口つゆを啜った。
うう。
思わず唸り声を上げてしまうほど、昆布味が強く、うまみが濃く、甘みを感じる。
いつものこの店の椀より、明らかに濃い。
そして青ソイを食べ、椎茸をかじり、茄子を口に含む。
食べ進むうちにその理由がわかってきた。
ソイの淡白さを補うためのつゆであり、ソイの磯くささを消すためのつゆである。
椎茸は、目を見張るほど香り高く、その香りに拮抗させるためのつゆである。
そして茄子は揚げてから皮を剥き、出汁を煮含ませてある。
茄子を噛んだときににじみ出る、出汁の品のある味わいとナスの甘味を際立たせるためのつゆなのであった。
そして三者が出会った時、海と里が出会った時、互いの命の尊さが輝き、大地と大海への感謝が生まれる。
なんというお椀だろう。
素材を知り尽くしているからこそできるお椀である。
盆百の料理人の自信を打ち砕くお椀かもしれない。
そのお椀は、一見無骨である。
だが洗練され、優雅で、垢抜けしており、洒脱で、どこまでも気が利いていた。