西麻布「翠園」

<会いたくなった時には、君はいないVOL3>西麻布「翠園」

食べ歩き ,

<会いたくなった時には、君はいないVOL3>
店の前に立ち、空を見上げた。
暗然たる気持に、景色が薄らいでいく。
その店は、町の小さな中華料理店だった。
入り口にはショーウィンドがあり、餃子や麺料理などのサンプルが、煤けて客を待ちわびている。
普段なら気にも留めないであろう。
しかし昔、松山猛氏が雑誌に書いた記事を見て、その店に出かけたのだった。
赤く丸いテーブルの上には、プラスチックのメニューが立ててあり、表には麺のメニュー、裏には定食が書かれている
定食は、ランチメニューと記されているが、実は夜も頼める。
驚いたのは、「青椒肉絲」だった。
肉と筍、ピーマンが同寸に切られていて、口の中でその三者がハーモニーを奏でる。
ピーマンは青々しく香り、筍は痛快な食感で弾み、肉のうま味が追いかける。
都内の大飯店も凌駕する、正宗青椒肉絲である。
それが、丁寧に取られたスープと醤蘿蔔にザーサイ、食後の杏仁豆腐がついて850円で食べることができた。
「セロリ牛レバー」も、レバーの火の通しが精妙で、レバーとセロリの香りのせめぎ合いが楽しいこと。(僕はこれを焼きそばにかけてもらう裏メニューがすきだったなあ)
「滑蛋牛肉 牛肉と卵の炒め」も、ふわふわに炒められた卵の中から、牛肉の滋味が迫る逸品だった。
そして餃子や春巻類も忘れてはいけない。
焼き餃子も水餃子も、自家製の皮のもっちりとした歯ごたえと、よく練られた肉あんの出会いが素晴らしく、ビールとやっていれば永遠に食べ続けられた。
店を仕切るのは、上品な70位のおばさんが二人。この二人がキモなのは間違いない。
ベテランのコッックがいなくなって、30代のコックに変わっても、味は一切ぶれなかった。
夜一人で行って、蒸し鶏と酒を頼み、餃子と青菜の炒めを頼み、最後に湯麺か炒麺でしめる。
どれも、板の仕事と加熱がまっとうな、誠実な味わいで、充足を呼んでくれる。
西麻布の交差点を通るたびに、東京にこの店がある幸せを噛み締めながらつぶやく。
「今日は別の店に行かなくてはならないけど、また必ず来るね」と。
しかしそれも叶わぬ夢となった。
さよなら「翠園」。さようなら二人のおばさん。
ありがとう。
ぼくはあなたたちの味を、永遠に忘れません。
2015閉店