映える写真ではない。
だがこの料理にこそ、料理という行為の真意が潜んでいる。
「ほうれん草の胡麻和え」である。
胡麻和えは目の前で、刻々と作られていく。
「ほうれん草の胡麻和えは、根元部分をすり下ろして合わせなければいけません」
と、ご主人は言われた。
それでこそ胡麻とほうれん草が繋がるのだろう。
ほうれん草の甘さが、胡麻だれにそっと忍んで、ほうれん草を生かすのだろう。
胡麻をあたり、調味をし、ほうれん草、胡麻、椎茸、クラゲを合わせていく。
ただの胡麻和えというなかれ。
作る姿には、気が張り詰めている。
ほうれん草と胡麻に最善の仕事をし、椎茸とクラゲをほうれん草より出過ぎぬよう、さりとて消えぬよう、最善の大きさに切る。
口に運べば、あたり立ての胡麻が香り、胡麻の甘みだけではないまろやかな甘みが流れ、茹で立てほうれん草がしなやかに広がり、椎茸やクラゲが微かに食感の対比を見せる。
食べていて、料理というものの深淵に、鳥肌が立った。
そう、鳥肌が立つような「ほうれん草の胡麻和え」には、そう出会えるものではない。