鮑に伊勢エビ、大間の鮪にズワイガニ、松茸に近江牛。
豪華な食材で攻める日本料理もいいかもしれないが、それだけでは心の安寧は得られない。
日本料理とは本来、心を座らせるためにあるものではないだろうか。
僕は栗山町に来るたびに、その真意を噛み締める。
料理は、精妙に切りそろえられた長芋と人参、カズノコのわさび添えで、静かに始まった。
椀種は、すけそうだらの白子と餅、凍み豆腐で、白子に合わせ、いつもより濃い目に吸い地を仕立ててある。
アブラボウズの脂を品よく感じさせる、酢みその塩梅や、口をリフレッシュさせて再び魚を食べたくなる煮柚子。
お造りに添えた、黒皮茸の酢漬けのセンスの良さ。
蛸、ゼンマイ、大沼の海老、小松菜と、海と山、野と沼が盛りあわされた皿の、しみじみとした味わい。、
立派な昆布と穴子の滋味に目を細める、金時豆やキャベツ巻きとの炊きあわせ。
ホタテのでんぶと煎りおからをかけた御飯に、10年漬けた小梅と紫蘇沢庵。
「まだ来ぬ春に想いを寄せましたという」デザートの百合根の甘酢あえ。
店主酒井さんは、東京支店の料理長時代に遠州流17代目からいわれた「君の料理はうますぎる。うまいものばかりではだめです。中に何気ないものがあってこそ、うまいものが光るのです」という戒めを、常に心に刻んでいる。
招福楼の先代のご主人から何度も言われた、「誠実と親切、感のよさが一番現れるのが料理です」という教えを、大切になさっている。
並んだ料理には、高級食材は使われていない。飾りも少ない。
我々を温めるのは、飾りではないことを教えられる。
調理のコツを尋ねれば、いや塩分と甘み、酸味のバランスに気をつければいいだけですと、こともなげにいうが、そこにプロの仕事がある。
それは、凍てつく冬風にさらされた我々の体をいたわり、心に春の陽を灯してくれるのだ。
栗山町「味道広路」にて。