半田「Re Chimique」

青年の挑戦。   

食べ歩き ,

「はいそうなんです。パリのブラッスリーリップが大好きで、あんな店を日本でやりたいと思って帰国したんです」。
34才になる若いシェフは、そう言って笑った。
20代半ばでパテシェになるべくパリに渡った青年は、ビストロにハマってしまった。
「日本での料理経験はないのですが、どうしてもブラッスリーリップのような店を作りたくて、この地で店を開いたのです。パリの味と熱気を日本人に伝えたい。
店の外にはファザードも作って、いつかはテラス席を満席にさせるゾとイキ込んでいました」。
だがうまくいかなかった。
「でも地元の人にまったく理解されなくて、お客さんが来なかったんです」。
それもそうだろう。フランス料理屋もぼぼなき半田で、本格ビストロを始めても、客が来るわけがない。
「29で始めて、食材もパリから取り寄せていたんでコストも高く、一年で経営難に陥りました」。
食材はほとんど輸入して、本場の味を見せてやると力が入っていただけに、意気消沈しただろう。
「お金がなくなって、このままでは野菜も買えなくなると思い、自分で畑を始めたのがきっかけでした」。
畑をやるようになって、同年代の無農薬栽培の農家とも知り合い、次第に他の有能な生産者とも繋がっていく。
「アドバイスもあって、知多半島の食材だけで料理を作ろうと思い立ちました」。
知多半島の食材と発酵にナチュラルワインと日本酒。
ビストロ料理とはまったく違う料理である。
地元のカリスマ生産者の椎茸は、熟成させ、炒め、炭火で焼き、黄身をのせる。
椎茸だけだというのにそれは、すき焼きの割り下のような甘みとうまみがあって、一口食べた途端に目を開かせる、
白ワインと麹を混ぜて作ったソースがかけられた無農薬野菜は、食べるたびに体の中に力を吹き込む。
自家製昆布塩と麹ワインソースを添えた鯛はねっとりと色っぽい。
スズキの子供、夏に美味しいマダカは、しっとりと焼かれて品のある甘みを滲ませ、かりもり{瓜)と食感の対比を見せる。
まだほとんどの人に知られていない、奮闘する若者の店がここにもあった。
半田「Re Chimique」にて 水野和也シェフと。