身欠きニシンを

食べ歩き ,

身欠きニシンを噛めば、ほろりと崩れる。
舌の上に流れた滋味は、鈍色の甘みがあって、しみじみとしみじみと生きている瞬間を考える。
焼きなすの香りとほのかな甘みは、悠久の昔からニシンと歩んできたような自然な出会いがあって、力を抜いて馴染んでいる。
「辻留」の料理には、余白がある。
うま味でこちらを凌駕しようとは考えてない、凄みがある。
その余白に我々が参加して、自分の思考を投影させる。
最近は余白のない、うま味を強制して思考を停止させる料理が多い。
だが「辻留」に来れば、「味わう」メモリをゼロにできる。