銀座「GINZ脇屋」

炉の料理。

食べ歩き ,

中国料理だというのに、中華鍋を一度も使わない。
厨房には、北京鍋も広東鍋も置かれていない。
ソースは、胴の小鍋を使って仕上げる。
それゆえにどの料理も、「鍋を煽る」という光景を見ないのであった。
代わりを務めるのは、特製のオーブンである。
特殊石による450度まで熱せられる炉が、奥に置かれている。
この炉に、野菜や魚、肉を入れて熱して仕上げるのであった。
 
例えばきんきの料理である、
きんきの料理としては、この手法が最高ではないか。
そう思わせる力があった。
噛めば皮はバリンと弾け、見事にゼラチン化したコラーゲンが甘く流れ出す。
身は、きんき特有のダレがなく、柔らかいのだが引き締まっている。
そしてなにより、味わいがきれいなのである。
高熱で短時間加熱されたせいか、味が澄んでみずみずしい。
そこにほんのり生姜を利かせた、干し貝柱のソースがかけられる。
全体は淡味なのだが、よくよく噛み締めると、深淵が見えぬほど奥深い滋味があった。
 
ローストダックもまた、北京ダックとは違う。
焼き物の表現でガラス、玻璃という表し方があるが、まさにこれはガラスである。
皮が、普段食べるそれより厚く感じられ、カリッではなく、ガリリッと、煎餅をかじるが如くの歯応えを見せる。
皮下は、きんき同様、優しく甘く溶け出す。
この凛々しい皮の食感と、穏やかな甘さを持つ甜麺醤の甘みが調和をなして、陶然とさせるのだった。
 
野菜もまた、この炉が美味しく変身をさせる。
ロワール産の白アスパラは、表面の繊維がやわやわとなって、中と同化する。
その淡い甘みとミネラルを、湯葉ソースの優しい甘みが抱きしめ、鞍馬山椒が味を引き締める。
「このまま堕落しても良いけど、ちょいとは気を引き締めなさい」と、言われて、「はっ」と、我に帰った。
奥に置かれた、甘いゴマソースにまみれた加茂茄子は、とろとろである。
水分を含んだまま、一切の繊維が開放されている。
噛む必要もなく、てれんと崩れて、舌にしなだれる。
あとは笑うだけであった。
 
新しい調理機具を得て、脇屋さんは楽しくてしょうがないという顔をされていた。
「出される予定の食材が、直前で変わって困っています」と、塀内ソムリエが嬉しそうに笑う。
8席だけのこの店を作ったのは、コロナで横浜店が閉店を余儀なくされて、考え直したからだという。
食べる側も、既存の中国料理の概念や経験を捨て、虚心坦懐に食べるといい。
なぜなら、これは料理人生50年を迎えた、脇屋さんの集大成ではない。
新たな挑戦の始まりなのだ。
GINZ脇屋にて