「ガラスの器は、流れない液体なんです」。
京都は亀岡のガラス作家杉江智さんは言われた。
おっしゃる通り、杉江さんが作られる器は流麗なる躍動があり、細やかな輝きがあって、それが常に揺らめいている。
その杉江さんの作品で料理を作って盛る。
そんな催しが「乃木坂しん」で行われた。
「事前に伝えているのは献立の流れのみ」
「器が届くのは直前」
この厳しい条件の中で料理を作るのは至難の技だろう。
「毎回毎回勉強させてもらっています」。
そう石田さんは言われた。
しかも今回はガラスである。
椀ものとかどうするのだろう?
熱くて持てないじゃないか?
その難しさも石田さんは見事に克服した。
下に冷たい枝豆のすり流しを敷き、上にキスを椀種にした熱いつゆを張ったのである。
まるで藻がゆらめく海中でキスが泳いでいるかのような光景の中で、枝豆とキスの淡い甘みが出会い、それを出汁の旨味がまとめ合う。
しかも持っても熱くはない。
クリスタルガラスならではの透明性を生かした、素晴らしい椀ものだった。
もう一つ面白かったのは、鮎の塩焼きである。
深皿のウエアに葉が被せられ、丸いガラス板を乗せて鮎が置かれる。
香ばしい鮎を食べてガラス板を退けると、中心には朝露のような淡い緑茶が滴っている。
それを飲んで葉をどけると、シャインマスカットの蓼酢和えが現れた。
時間を食べる料理である。
鮎本体を食べ、川の水を飲み、下の苔を食べる。
そんなような時空の深みがある。
これも器から発想しなし得た、美なのだ。