昆布の音も鰹節の音も消えていた。

食べ歩き ,

お椀は、昆布の音も鰹節の音も消えていた。
「片折」では、お椀の前に鰹節を目前で削り、昆布出しに落として杯で飲ませる。
昆布出汁は、山奥から組んできた水に前の晩から浸け、お客さんが揃う4時間前から火加減に心を配りながら、抽出したものである。
鰹節は、枕崎の本枯れで、雑味のない一本釣りカツオだという。
面白いのは、毎回こうして出汁だけを飲ませてくれるのだが、毎回様子が違うことである。
あるときは淡く、あるときは濃く、あるときは昆布が強く、あるときは両者が強い。
片折さんは、毎回椀種に合わせて、試作を重ねる。
蟹しんじょなどの淡い椀種は、それ自身の滋味が溶け出さないので容易だが、魚はそれぞれに違い、同じ魚でも個体差があるので難しい。
魚から滲み出る滋味や塩分を計算して、出汁を整える。
昨夜のお出汁は、昆布が強く出ていて、鰹節もいつもより若干強い気がした。
椀種はヤナギバチメ(メバル)だった。
椀種にするのは珍しい魚である。
お椀の蓋を少し開けて香りを聞くと、ネギが薫った。
ネギ特有のつんとした香りではなく、胸を清める爽やかな香りである。
お汁を一口すする。
するとどうだろう。
あの強かった昆布も鰹節も消え、柔らかなうまみだけをたたえたおつゆが、舌に広がっていった。
ヤナギバチメの脂と滋味がつゆに溶け込んで、昆布や鰹節の自我を隠し、天露の水ように丸い。
その優しさに身震いした。
ヤナギバチメも今まで食べたどのメバルとも違う。
皮下のコラーゲンが、舌にぬるんと甘えて、とても艶っぽい。
そこへ雪下で甘味を蓄えたネギが香り、一枚一枚バラバラにされた木の芽が時折香る。
なんと美しいのだろう。
なんと精妙なのだろう。
メバルの質に敬意を払い、出汁の味わい、椀ツマの量や配分や形など、一ミリの狂いもなく精緻に整えられたお碗は、限りなく美しい。
完璧なる美は、作られただけの料理では、生まれない。
「創出」された料理だけが持つ、孤高の美しさである。