日本料理の芯。

シメご飯 , 食べ歩き ,

初めてである。
心震える料理をいただいて,書きたいと思うが,書けなかったことは。
なぜなら,料理が清廉されすぎていて、書けば書くほど嘘になると思ったからである。
だがその沈黙は、感動を伴った沈黙であるから,たとえ嘘になろうとも書かなくてはいけない。
そう考えた。
料理はどれも、「欲」が消えている。
食材をもっと美味しくさせようとか,腕を振るいたいとか、人に認めてもらいたいという欲が、一切ない。
たとえていえば、食材の横で、静かに添え寝している料理だった。
諦念というか,解脱している。
たがらだろう。
優れた日本料理ほど,日本酒が恋しくなるのに、まったく欲しない。
味が薄いのではない。
こっくりと濃い味もあるのに、酒を飲みたくならないのである。
無心で、淡々と、息を潜めるように作られている。
大味必淡。
本当に美味しいものは,淡い味であるという言葉がある。
しかし食べて考えた。
淡いとは、単に味が薄い濃いということではないのだろうと。
執着,欲心、煩悩を脱ぎ去って料理を作る,自由な精神のことではないだろうか。
老主人の料理には、束縛されず,天高く空に昇っていく,自由があった。
「何も所有しないものは,何も失うことはない」。
サンテ=テグジュベリ
★豆腐のとろろ芋がけ
★穂紫蘇の田楽
★蓮根の天ぷら
★鯵の湯引きと野菜の酢味噌
★身欠ニシンと野菜の焚き合わせ。
★胡麻粥、白菜の浅漬け
金沢「福」にて