北沢美枝さん80歳

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「こんちくしょう、負けるものかってね」。

かわいい目を細め、女将は笑った。

30年前に大病を患い、体重が半分になった。病院に通うバスの、一段さえも登ることがままならず、バス停に向かう駒込の坂もきつくなった。

だが津軽人の負けん気と粘り強さで、「こんちくしょう」と、心にムチを打った。医者に通いながら、毎日料理を作り、接客をし、幾多の客をもてなした。

北沢美枝さん80歳。津軽郷土料理の店「みぢゃげど」を、35年間営む女将である。

実家の石場家は、弘前藩の御用商人として19代続く津軽の豪商で、去年JRのポスターにもなった生家は、重要文化財に指定されている。

大勢の使用人を抱え、兄弟一人一人に「あだこ(子守)」がついていたという、名家である。

客を招いての宴席が多く、その際に長女である北澤さんは、家督を継ぐ長子として、祖父、父に続く上座に座った。幼女であっても、馳走を食べ、盃に注がれた酒を飲む仕草もしたという。

料理がしたくて、6歳から台所に入り、小さい包丁をもらい、祖母の手ほどきを受けた。

「差が無いように切りなさい」。大根や人参を同寸に切るよう、厳しくしつけられた。むずかしかったが、楽しくてしょうがなかったという。

「みぢゃげど」で出されるのは、津軽郷土料理である。

いや、ただの郷土料理ではない。手をかけた、石場家伝承のふるまい料理、客膳である。

噛むほどに味が深みを増す、「身欠きニシン」。焼き干しの出汁で、柔らかく煮こまれた「でんぶ」。津軽の土間で蓋をして発酵させた、「鮭の押しずし」。玉子の黄身と帆立の甘みが心を軽くする、「ホタテの黄味かけ」。一口舐めた瞬間、旨味と香りに顔が崩れる、「真鱈の子の醤油漬け」。

そして見事な鱈と白子、津軽の目をみはるほど力強い根菜を使った「じゃっぱ汁」や「鴨鍋」。

津軽の厳しい自然で育まれた恵みが、口の中でいきいきと花開く。それはまた実直で骨太なおいしさであり、時間と技をかけてこそ生まれた味わいである。

「熟れずしだから、いまちょうどおいしい。海鮭漬けて4週間は当たり前だけど、いま弘前で売ってるのは、ご飯炊いてやってるの。私は食べられない」。

「胡瓜の粕漬けっていっても、東京のような甘ったがれじゃない。そんなもんじゃない、もっとおいしいの」。

「好物? だけど津軽料理さ。生まれたの津軽だし。大きくなったし。季節季節あるべ。旧正月に作る煮なます。練りごみ、鮫なます、かいの汁、とろろまま」。

料理を語り始めると、顔に艶が刺す。漲る郷土の誇りが伝わって、こちらまでがうれしくなる。

「ああうまいっ」。

思わず叫べば、

「あまい? ああうまいね。サンキューありがと」。

「いっぱいいかかですか」と、お酒を勧めれば、「駄目よ。私にちょっと飲んでって。足りないもん」。

写真を撮っていると、

「いいばあさまに撮れてる? すましていいとこ撮ってね。でなきゃ、また嫁にいけないもの」。

愉快である。

北澤さんの話を聞きながら飲めば、都会の汗は剥がれおち、憂さはきれいに蒸発していく。

「おいでさまです、牧元さん」の声が聞きたくて、また足を運ぶ。

「津軽料理を伝えられて、ファンが増えることがうれしい。まだ動けるからさ、私有難いと思ってるんだ。色々あったさ。でも人生だもん」。

言葉は柔らかい。

だが可愛い瞳の奥には、津軽文化の担い手としての覚悟が、燃えていた。